書評
『ドッペルゲンガー──鏡の世界への旅』(岩波書店)
暴走する「分身」を追いかける
私のSNSアカウントのプロフィール欄に「『砂鉄』名義の別アカとは無関係」とある。「武田砂鉄」ではなく「砂鉄」名義のアカウントが複数存在し、その中にインフルエンサーになっている人がいる。だいぶ極端な主張をする人で、時折、自分のアカウントと混同する人が現れる。このアカウントの投稿をもとに「武田砂鉄は差別主義者」と言われたり、私の裏アカウントと断定された上で、「これがこの人の本性」などと言われたことさえある。たいした頻度ではないが、いつどこで大きな誤解が生じるのかわからないので、一定の警戒感がある。先方も私と間違われるのは不快かもしれない。『ショック・ドクトリン』などの著作で知られるジャーナリストが「私はこの本を書くつもりはなかった」と書き出す。それはなぜか。「もう一人のナオミ」の存在にある。右派の陰謀論者のナオミ・ウルフと混同されたのだ。あたかもドッペルゲンガー(分身)のように、「もう一人のナオミ」が暴走する。ウルフは「点と点をつないで」いきながら、論理的な飛躍を重ね、無謀な論をばら撒(ま)く。
そのウルフの発信を何年も追いかける。「ユダヤ系のフェミニストで、ファシズムがいかにやすやすと開かれた社会を抑圧するかを警告する本を書いてきた彼女が、トランプやバノンと同盟を組むことをいったいどうやって正当化したのか?」、本来、自分の外にある主張が近づいてきて、混ざり合う。
新型コロナウイルスの感染拡大によって、世界全体がパニックになった。ある人はコロナなど存在しないと言い、ある人はワクチンを警戒し、ある人はすべての交流を断ち切って引きこもった。不安をどう解消すればいいのか迷いながらゴールを探す。そのゴールは個人の都合によって自由に用意され続けた。あの時、誰もが、誰かの考え方を疑ったはずである。
「誰もが常に嘘をついているような世界」にあって、私たちはどうすれば「自尊心を保ちつづける」ことができるのだろうか。SNSをスクロールしても、「議論や物語の本題から目をそらさせる切れ端ばかりが、紙吹雪さながらに飛び交うばかり」。だが、その紙吹雪に真実を見出す人が出てくるのだ。
自閉症児の親でもある著者は、疑似科学の世界でどのような言説が飛び交っているのかを探る。個人の信じたい物語があり、その物語を補強するために、別の物語を欲し、抜け出せなくなってしまう世界があった。その世界は奥深くに存在するわけではなく、堂々と表にあり、あたかもスタンダードであるかのような顔をする。
私は以前、切り抜き動画の被害にあった。なぜか自分は相手(ある選挙の立候補者)に言い負かされたことになっており、涙目になっていたと嘲笑されていた。さすがに自分の身体反応くらい覚えているので、涙目にはなっていなかったが、事実なんてどうでもいいようなのである。これを正してもらうのは難儀だ。諦めるしかないのだろうか。ただし、諦めると、それが、認めたに等しくなってしまう。
「一部の人間がつくったものは何であれ、他の人間によって変えることができる」という著者の宣言を頼もしく思う。書くつもりはなかった大著がこうして生まれてしまった、その意味を考えながら不本意な長旅に追走した。
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