書評
『力士漂泊 相撲のアルケオロジー』(講談社)
チカラビトの文化史
私はふだんテレビで相撲も見ない。国技館に足を向ける習慣もない。角力界は牢固たる因習の世界のような気がしていた。が、この本『力士漂泊――相撲のアルケオロジー』(宮本徳蔵、小沢書店)を読むと、印象が変わる。俄然、相撲をこの目でじかに見たくなる。力士――すなわち「チカラビトはいつ、どこで生まれたか」。著者は語り出す。「草原と砂漠のまじりつつ果てもなくつらなるアジアの北辺、現在の地図でいえばモンゴル共和国のしめているところだったであろう」。時は紀元二、三世紀ごろ。
突然、土俵ごとゴビ砂漠へ飛んでいったような爽快感がある。「国技」だなんて小さい小さい。ユーラシアにまたがる数千キロの空間と、十数世紀におよぶ時間が、相撲の背後にはある。まずこの事実に度胆を抜かれた。
モンゴルからチカラビトは東へ南へと流れていく。西に流れたのはトルコのレスラーとなり、彼らはヨーロッパの格闘技の祖となる。南へ下って五世紀にはすでに鴨緑江のほとりにいる。そして「チカラビトは海を渡った」。日本の文献に初出するのは六四二(皇極天皇元)年。百済(くだら)からの亡命王子と使者をもてなすため、飛鳥宮の庭で行なわれた。
もっともこのとき相撲は再起を期す百済系氏族による武闘訓練の披露だったらしい。のちに大隅と薩摩の隼人(はやと)がとった相撲は、ヤマト朝廷への服属を、イヌの鳴きまねも含めて「演劇的になぞる」性格のものであった。
すなわち異境性を身につけ、国土を失った漂泊者。それがチカラビト。本書のタイトルでもあるそのあざやかな視点に、私は興奮した。そういえば力士は辺境の出身者が多い。高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)の流れは玉乃島、三重ノ海。ツクシ(北九州)からは双葉山、先代朝潮。若島津はハヤトの血脈。雷電から千代の富士まではエゾ出身だ。
流儀として型が重んじられるようになったのは、鎌倉初期、後鳥羽上皇が、古法に通じた志賀清林の後つぎとして吉田家次という人を探しだしてからである。つまり現在までつづく相撲の家元司家(つかさけ)、吉田追風(おいかぜ)にほかならない。吉田家の権威は、承久の乱で幕府に刃向い島流しにされた後鳥羽上皇の怨霊の鎮魂と結びつくと著者はいい切る。
同様に、江戸の両国という場所(トポス)での相撲は、明暦の大火・振袖(ふりそで)火事で死んだ十万七千人の鎮魂のパフォーマンスを意味するという。あちこちに散りばめられたダイナミックな仮説、緻密なロジックが本書の醍醐味である。
もう一例、一八四四(天保十五)年、江戸に現われ人気を集めた七尺五寸(二メートル二十七センチ)、四十五貫(百六十九キロ)の生月鯨太左衛門(いきづきげいたざえもん)という力士がいる。なんて大げさな名であることか。この人は著者によれば豊漁、航路の平安など瑞象を呼ぶ「海の精霊」なのだそうだ。
江戸の大名は、領国内でいちばん図体のでかい男を参勤交代の供に加え、見せびらかした。だが見せびらかされる異形の者、チカラビトにとって、それは堪えがたい苦しみではなかったか、と著者は視点を力士の側に転換する。北尾の口元のそこはかとない含羞、人目に立たない人間に変身したがればしたがるほど、逆に道化(トリックスター)を演じざるをえなかった男女(みな)ノ川(がわ)の一生もその現われであった。
巨体が運命を左右するかなしさを、著者は生まれ育った町の、タムラマロという元力士のエピソードでも語る。町の映画館の火事で十名近い客を救い出したが、救った年増芸者に惚れられ、ヒモとして身をもちくずし、ついに地回りに刺されて死んだ。
正統派ヒーローの三傑として著者は、谷風、常陸山、双葉山をあげる。江戸期に藩邸の留守居役と結びついて興行を成功させた谷風、維新後の相撲の危機を薩長藩閥にすりよることで切り抜けた常陸山とくらべ、宇宙の生命力をあらわす真の「金剛力士」は昭和の双葉山ではないかという。昭和十年、玉錦を浴びせ倒すのを皮切りに、奇跡の六十九連勝を達した。
双葉山は前の二人とちがい、政治にはかかわりなく無心であった。小学校四年生の著者のファンレターに巻紙で返事が来たことがある。それは、「文章といい筆蹟といい、あれほど真率でみごとな手紙をそののちともに見たことはない」ようなものだった。
本書は、相撲を東アジア全体に位置づけた壮大な文化史である。書中のえらびぬかれた錦絵や写真も、この本を興趣あふれるものにしている。のみならずその底に長年の相撲への愛情がみなぎり、なおかつ朝鮮の血をひく著者の、漂泊する力士への圧倒的な共感に、彼らを「まつろ」わせた時の権力への反骨もにじむ。すがすがしい仕立てながら、なんと芳醇な本であろうと、読みおえて嘆息した。
【単行本】
【この書評が収録されている書籍】
初出メディア

DIY(終刊) 1991年12月~1992年8月
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