書評
『湖畔の愛』(新潮社)
本気の遊びで、言葉に魂を
この世でいちばん大事なのは正直であることだ、と言われて否定する人はいない。だがどうだ。金持ちは力を振るい、美人は得をし、きれいごとを口にする人で世の中は満ちている。けしからんではないか。九界湖の畔(ほとり)にたたずむリゾートホテルが舞台の本書で、町田康が導入するのは吉本新喜劇の形式だ。たとえば雑誌ライターの赤岩は「多様な価値観を認め合う共生社会」なんて言いながら、その実、自分の運さえ良くなればいいとばかり、隠された地元の神社を荒らそうとする。
彼女にとって言葉とは単なる道具だ。口当たりの良い言葉を吐く彼女のような人々に対抗するべく、様々な手法が駆使される。「カップル」は「カッポーレ」に横滑りし、「思考のつぶやき」が「壺(つぼ)焼き」に変換される。突然「pretty vacant な若い兄ちゃん」と、パンクロックの歌詞が英語で割り込む。
これはただの駄洒落ではない。お約束に満ちた退屈な言葉に真心を取り戻すための本気の遊びだ。その極北が客の太田である。言葉に絶望した彼は「言葉の意味というものをいったんすべて排除して、気持ちだけで喋ったらどうなるだろうか、と思った」。音と気持ちだけで意味のない言葉を話す彼は、数々の苦難に出合う。だが周囲から無能だと思われていたホテルの雑用係のスカ爺だけは、太田の言葉を受け止められる。
老人も青年もアウトローも、互いに突っ込み、どつき、笑いながら、ありのままでいることを認め合う。町田にとって吉本新喜劇は正直者のユートピアだ。そこでだけは正しい者が報われる。それは本書も同じだ。だからこそ、愛する女性を救おうとする客の吉良の言葉にならない「獣のように純一な祈り」は、龍神に聞き届けられる。そして赤岩にはバチが当たるのだ。
本書の笑いの奥には、言葉に魂を取り戻したい町田の思いがある。そしてそれは我々の心を強くつかむ。
朝日新聞 2018年5月19日
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