書評
『林ふじを句集 川柳みだれ髪』(ブラス出版)
凜として恋と命をハミング
警抜な川柳作家を知った。男のような名前だが女性である。本名、林和子。元号が大正から昭和にかわった一九二六年の生まれ。昭和三十四(一九五九)年二月、病没。わずか三十三年の生涯だった。東京で生まれ、結婚後は小田原に住み、娘を一人もうけたが夫と死別。娘を夫の親族に託して東京・葛飾で一人暮らし。妻子ある人と恋に落ち、それが機縁で川柳を知った。一九五五年、川柳作家・川上三太郎に師事。死まで実質五年にたりない。この人についてわかっているのは、たかだかこれぐらいのこと。死後、仲間たちが編んだガリ版刷りの『林ふじを句集』が、地上の足跡をとどめる唯一の記録だった。
灯を消せば部屋いつぱいに充(み)つ鼓動
火の肌に秘めし想ひを君知るや
『みだれ髪』のタイトルは有名な与謝野晶子の第一歌集になぞらえてある。ともに強い性的イメージのもとにあることはあきらかだ。ただ二十代はじめの歌人晶子が手ばなしで性愛をうたい上げたのに対して、川柳作家の場合、きびしく抑制されている。
体臭の静かに同化した過程
眼をとぢて野性に還る肌と肌
性愛が切実な叫びのかたちをとることはない。じっと見つめている眼があるからだ。五感がいやでも批判性をおびて考えをつむいでいく。おのずと言葉でもつむがずにはいられない。
駅前の別れに他人めく言葉
口実はなんとしましよう日曜日
妻の灯か子の灯かこころすでになし
生涯のことはほとんどわからないが、生年からほぼわかる。運の悪い世代なのだ。十代は戦争のさなかだった。敗戦後の混沌(こんとん)と窮乏のなかで二十代をすごした。昨日の国家主義者が、さっさと民主主義者にころもがえしていく。抜け目のないのがドサクサにまぎれて大儲(おおもう)けした。国をあげて民主ニッポンを誇らかにとなえながら、社会のいたるところに旧来の生活感やモラルや考え方が色こくしみついている。
川柳は世相風刺を得意とするジャンルだが、ふじをはこのバカげた世の中とつき合うのは、ほどほどでいいと考えていたのではあるまいか。川柳を始めたのは三十に手のとどくときであって、こんな時代に三十年も生きてくれば、我ままになっていいと思い定めていたふしがある。
量感をたのしむ黒き乱れ髪
「赤ちやんがほしい」男をギヨツとさせ
何とでも理由はついて小さないのち消え
川柳におなじみの世俗的な言い方になっても、その表現には凜(りん)とした強さがある。句作を大切な作業と思い定め、切りつめ切りつめ、これ以上ない十七音で思いを語った。よく知られた女性川柳作家、時実新子とは、ほぼ同世代で、同門である。監修の復本一郎が述べている。新子の作品が「ややもすると読者を意識し過ぎての作為」が感じられるのに対して、ふじをはメディアを意識しなかったぶん、(する必要がなかったぶんだけ)自然であって、「おのずからの誠が内包されている」ように思われる。
つねに冷静に見て、基調音のような低音で恋と命の細っていく身をハミングした。
かく病めば空の蒼さをまで憎み
火のいのち絶え絶えとなりなほ恋ふる
きちんと人生のつとめを果たした人からの、この上ない文学の贈り物である。
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