書評
『シャーロック・ホームズの科学捜査を読む』(河出書房新社)
「発見したぞ!」は本当だったか
犯罪捜査を担当する刑事と雑談を交わしたことがある。「皆さん、推理小説なんか読むんですか。笑ってるんでしょうね」
「いえ、いえ。結構楽しんでますよ」
しかし目は少し笑っていた。推理小説と本物の捜査はちがう。本物のほうがずっと綿密で、手順を踏んでいる。公判に堪えなければいけない。刑事コロンボの捜査は、この点ほとんどが落第だろう。
推理小説は読者との対話なのだ。読者を納得させれば、それでよい。実際の科学捜査は日進月歩で十分にややこしいことが実行されているのだろうが、小説ではあまり深入りしては読みづらくなる。
シャーロック・ホームズの時代はどうだったのか。本書は入念に19世紀の科学捜査を尋ね、ホームズがどれほどそれに通じていたかを綴っている。科学捜査はまだまだ揺籃期であったし、ホームズは科学捜査が売りものの探偵であったから、このやりとりは多彩で、奥行きが深い。毒物、変装、血液、銃撃、筆跡、迷信、細かく検証している。
ホームズが『緋色の習作』で「発見した! 発見したぞ! ヘモグロビン以外ではぜったいに沈殿しない、試薬を発見したんだ」と血痕を見極める方便を見つけて欣喜雀躍したとて、それはどのくらいの科学性を反映していたのか、記述は具体的であり、
「そういうことでしたか」
と納得が広がる。
ホームズの生みの親コナン・ドイルは医学博士でもあったから、作品の中の科学捜査は相当に科学的であったが、もちろん誤謬(ごびゅう)もある。タイトルから予測されるほどホームズの事跡を数多く検証するものではなく(その点ではシャーロッキアンには少し不満かもしれない)むしろ犯罪史、法医学史の趣が濃いのだが、これだけ広く事実が例証されていれば二重丸だろう。
それにしても科学というものは合理と信じられているだけに恐ろしい。科学捜査ゆえに罪なき者が有罪とされたケースはゴロゴロあったろう。21世紀は大丈夫なのだろうか。現実は推理小説のように明快には運ばない。
朝日新聞 2009年2月22日
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