選評
『かけら』(新潮社)
川端康成文学賞(第35回)
受賞作=青山七恵「かけら」/他の候補作=岡田利規「楽観的な方のケース」、川上弘美「terra」、リービ英雄「我是」、西村賢太「廃疾かかえて」、遠藤徹「麝香猫」/他の選考委員=秋山駿、辻原登、津島佑子、村田喜代子/主催=川端康成記念会/発表=「新潮」二〇〇九年六月号知的で痛切な結末
青山七恵氏の「かけら」の語り手は、〈友人に誘われて先月入った写真教室で、先生に勧められたこの機種(一眼レフ)を六回の分割払いで買った〉〈神奈川の奥地の大学を選んで家を出た娘〉である。桐子というこの女子学生は、〈風景写真のよい練習になるかもしれないと思って〉ある土曜日、実家へ帰って、日帰りのさくらんぼ狩りツアーに参加するが、家庭内に小事件が起こって、同行者は、これまで影の薄い存在で、それゆえにほとんど気にもとめていなかった、痩せっぽちの父一人ということになる……設定をくわしく書いたのは、この月並みな話を、作者がどのようにして、すばらしい作品に仕上げることができたかを確かめるためである。作者は、風景写真を撮りつづける桐子に徹底してこだわる。別にいえば作者は、かけらほどもない、この小さな思いつきを心から愛しつづけた。作者の愛を受けて、この月並みな思いつきが、やがて珠玉のような光を帯びはじめる。ファインダーを通り抜けて行く風景の中に、ゆっくりと現れてくるのは、見たこともない父の像だった。
これまで影が薄いと見えたのは、父が控えめに生きているからではないか。気が弱いと思い込んでいたが、それは親切な人柄がそう見えていたのではないか。蚊とんぼのような痩せっぽちと決めつけていたが、それは仙人の別像だからではないか。こうして紋切型の連続体として消費されていた退屈な日常が、冷ややかなカメラを通して、切実で温かな営みのように見えてくるところが非凡である。
作中に、むかしの家族写真が一枚登場するが、この短篇の流れの中に置かれると、過去の記憶のかけらにさえも温かな血が通い、父娘の現在の心境とつながって、作品にささやかだが好ましい山場をつくりだし、ここには、作者のしたたかな力量があらわれていた。
すばらしいのは結びの数行で、三週間後、焼き上がってきた写真を見ると、〈父の視線は写真をはみ出して、雲の切れ目に薄い色の星が浮かぶ東の空に向かってい〉た。それまで万能の観察装置と信じていたカメラにも、父の真像を掴えることができなかったかもしれない。知的な、そして痛切な結末である。
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