書評
『デイヴィッドの物語』(大月書店)
闇の底から浮かび重なる声
舞台は、ネルソン・マンデラ釈放後の1991年の南アフリカ共和国である。おそらくこの国ほど文学が国民の〈声〉となることが困難な土地はないだろう。長年にわたって人種隔離(アパルトヘイト)政策で国民が深く分断されてきたからだ。しかも、白人支配層から差別され抑圧されていた黒人たちの闘争と解放の物語を描けば、それがナショナル・ヒストリーとなって一件落着とはいかない。南アには白人と黒人だけではなく、「カラード」という混血層が存在するからだ。この人々の〈歴史=物語〉を、アパルトヘイト以降の南ア文学は、どのように描けばよいのか?
本書は、「グリクワ」と呼ばれる、先住民とヨーロッパ系移民との混血層出身の主人公デイヴィッドのルーツ探しの物語だとひとまず言える。彼は反アパルトヘイト運動の闘士であり、妻子ある身ながら、活動の中で出会った女性闘士ダルシーが忘れられない。そして今、彼は何者かに命を狙われているようだ……。
土地を収奪されて彷徨(さまよ)うグリクワの失望と挫折の歴史、反アパルトヘイト運動内部での血塗られた対立、拷問されレイプされたダルシーの過去などが、途切れ途切れの声の断片となって、闇の底から浮かび上がっては重なりあう。いったい何が起こっているのか、読みながら何度も立ち止まり、進むべき道を探して、声に耳を傾けなくてはいけない。ところが、その声自体がためらい、正しい道がどちらか断言できないのだ。
でもそう語るほかない。一つの大きな声は、他の無数の小さな声を聞こえなくしてしまうから。ちょうど日本文学なるものがアイヌや移民や沖縄の〈声〉にずっと耳を傾けてこなかったように。文学は政治的・倫理的な役割・使命を担わなくなったと言われて久しいが、このような担い方があったのだ。遠回りで時間はかかるが、風景の見え方・聞こえ方は確実に変わる。
朝日新聞 2013年2月10日
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