書評
『シェル・コレクター』(新潮社)
ここには、盲目の老貝類学者がいる。死にゆくものの魂が最後に思い浮かべる光景を感受できる女性がいる。フライ・フィッシングを通じて成長する十四歳の少女がいる。金物喰いの芸人と共に生まれ故郷を出奔する女子高生がいる。イギリス人との大物釣り勝負に血道を上げる滑稽なアメリカ人がいる。内戦から命からがらアメリカに逃げ、森の隠者になってしまうリベリア人青年がいる。浮気をしている老人がいる。愛する男と共にアメリカに渡り、心をやせ衰えさせるタンザニア人女性がいる。
さまざまな年齢、人種のキャラクターが登場し、それぞれの物語をそれぞれの生のありようにふさわしい声で陰影豊かに語り起こしてくれるのが、アンソニー・ドーアの『シェル・コレクター』だ。八つの作品が収められたこの短編集が見せる人生の断面。ひとつとして類型に堕さない、その多様性といったらどうだろう。人間や自然に向ける作者の視線の温かさ、思慮深さといったらどうだろう。これほど滋味に溢れた傑作短編の数々を生み出したのが、老練のベテラン作家ではなく、弱冠二十代の新人作家だとは! 想像力がいかにひとを、経験や年齢を超えて遠くまで運び、その軌跡がどれほど優雅で驚くべき線を描くか……。それが知りたかったら、この本を開いてみればいい。
たとえば、「長いあいだ、これはグリセルダの物語だった」という一編。この物語の語り手は〈ぼくら〉だ。高校バレー部のエースで人目をひくルックスのグリセルダ。話は、町にやってきた金物を喰う芸人に一目惚れし、彼と共に出奔してしまった彼女の物語として始まる。町の人間が娘の不品行を噂し笑っているという思い込みから、精神を失調させていく母親。高校をやめて働きながら、母の面倒を見ることになったグリセルダの妹ローズマリー。姉とは違い不器量で、優しいけれど冴えない男ダックと結婚する地味なローズマリー。〈ぼくら〉は憐憫まじりの語り口で、彼女の人生を読者に伝える。やがて、世界中を巡業するスターとなった金物喰いとグリセルダが町に凱旋する。妻が喜ぶだろうと思い、ショーの後で二人を家に招待するダック。ところが――。
これまで語られてきた全てが、華やかなグリセルダの物語ではなく、実は町から一歩も外に出たことのない平凡な人生を送るローズマリーの物語だったことがわかる一瞬の訪れ。その決定的シーンで、読者は必ずや〈ぼくら〉、つまり町の人々と共に快哉(かいさい)を叫ぶに違いない。ラストニページの意外な展開。巧い!
一度読むと、いつまでも胸に残り、何ということもない時に、ふと、その中のワンシーンが蘇ってくる。そんな八編が所収されて、たったの一八〇〇円。これを高いと感じる人は、財布ではなく心が貧しい人だと思う。
【この書評が収録されている書籍】
さまざまな年齢、人種のキャラクターが登場し、それぞれの物語をそれぞれの生のありようにふさわしい声で陰影豊かに語り起こしてくれるのが、アンソニー・ドーアの『シェル・コレクター』だ。八つの作品が収められたこの短編集が見せる人生の断面。ひとつとして類型に堕さない、その多様性といったらどうだろう。人間や自然に向ける作者の視線の温かさ、思慮深さといったらどうだろう。これほど滋味に溢れた傑作短編の数々を生み出したのが、老練のベテラン作家ではなく、弱冠二十代の新人作家だとは! 想像力がいかにひとを、経験や年齢を超えて遠くまで運び、その軌跡がどれほど優雅で驚くべき線を描くか……。それが知りたかったら、この本を開いてみればいい。
たとえば、「長いあいだ、これはグリセルダの物語だった」という一編。この物語の語り手は〈ぼくら〉だ。高校バレー部のエースで人目をひくルックスのグリセルダ。話は、町にやってきた金物を喰う芸人に一目惚れし、彼と共に出奔してしまった彼女の物語として始まる。町の人間が娘の不品行を噂し笑っているという思い込みから、精神を失調させていく母親。高校をやめて働きながら、母の面倒を見ることになったグリセルダの妹ローズマリー。姉とは違い不器量で、優しいけれど冴えない男ダックと結婚する地味なローズマリー。〈ぼくら〉は憐憫まじりの語り口で、彼女の人生を読者に伝える。やがて、世界中を巡業するスターとなった金物喰いとグリセルダが町に凱旋する。妻が喜ぶだろうと思い、ショーの後で二人を家に招待するダック。ところが――。
これまで語られてきた全てが、華やかなグリセルダの物語ではなく、実は町から一歩も外に出たことのない平凡な人生を送るローズマリーの物語だったことがわかる一瞬の訪れ。その決定的シーンで、読者は必ずや〈ぼくら〉、つまり町の人々と共に快哉(かいさい)を叫ぶに違いない。ラストニページの意外な展開。巧い!
一度読むと、いつまでも胸に残り、何ということもない時に、ふと、その中のワンシーンが蘇ってくる。そんな八編が所収されて、たったの一八〇〇円。これを高いと感じる人は、財布ではなく心が貧しい人だと思う。
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