書評
『自由死刑』(集英社)
自殺志願者の煉獄めぐり
『彼岸先生』以後の島田小説の主人公や語り手には説教師が多い。屁理屈で自らを一個の批判に仕立てた青二才は中年になって、郊外の退屈を生き抜くと宣言したり没落する男を演じたりしつつ、人生論を語るおじさんとして成熟した。だがそれも終わりを迎えようとしている。今度の説教師は自殺志願者だからだ。平凡な中年サラリーマンの喜多善男は、自分の責任で勝手に死ぬ自由死刑を自らに宣告し、有り金の百万円を元手に余命の一週間でやり残したことをし尽くそうと決める。そうして始めた酒池肉林、捨てられた昔の恋人との再会、憧れの巨乳アイドル宵町しのぶとの恋と狂言誘拐劇、殺し屋からの逃走といった煉獄めぐりがこの小説のストーリーを形作る。
これまでの説教師たちの例に漏れず、喜多はこの世への違和感と憂鬱を抱え、出逢う女たちに振り回されながらも、根本的には何も変わらない。説教師はどこかで他人を感化しようとはするが、自分の内側に入られることは好まず、ただ己にのみ従う。例えば喜多が死にたがるのは、それまでもずっと彼を支配してきた分身、「自分とそっくりだが、全く違う成分でできている“あいつ”」が命じたからだという。“あいつ”は「理由なんてなくても人は死ねる」とそそのかし、喜多もそれを受け入れる。結局は一体である喜多と“あいつ”の間に、他の者は介在できない。だからしのぶの引き留め工作や説得には冷淡でいられるのだが、しのぶのほうは喜多に感化されて彼をイエスと同一視する展開となる。
だが変化は突然訪れる。自殺直前に喜多はしのぶに電話をし、「君は、理由のない死を認めてくれないからね」と言って動機を打ち明ける。曰く、弟が三歳のとき川で事故死したのは自分がそう願ったせいであり、償いたいと。あまりに唐突なこの告白に読者は戸惑い、しのぶを安心させるための方便かと思うところだが、続くモノローグでも弟と同じ死に方を模索する喜多はどうやら本気だ。読者を置き去りにする強引な方法ながら、喜多は“あいつ”との訣別を謀ったのだ。しかしその隙間を他人に開放するには至らず、あくまで説教する聖人に留まるべく、最後は断食を敢行して“あいだ”の住人となる。ここ十年間繰り返し使われ、本来の意に反して固定した立場となりつつある“あいだ”とともに、説教師が葬られるこの作品は、九〇年代の島田的言説に別れを告げるレクイエムとなるのかもしれない。
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