書評
『となり町戦争』(集英社)
ちまたで静かに話題となっている三崎亜記『となり町戦争』は、ちまたで静かに戦争が始まる話である(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆年は2005年)。とある町の役場が、地域の活性化のために公共事業として、隣の町と戦争を起こす。語り手「ぼく」は、町役場から「偵察業務従事者」に任命され、担当の女性、香西さんとともに隣町へ居を移す。だが、「ぼく」の前に戦闘や流血の場面は現れず、平穏な町の風景は変わらない。数字の上では戦死者が増えるのに、最後まで戦争の実感は得られない。
どんな非情な行為が陰では行われているのか、この戦争の実態は何なのか、そういった謎解きを期待すると、肩すかしを食らう。この小説は、戦争の実態を書こうとしたものではなく、戦争に現実感を抱けない私たち自身の、不気味な自画像なのだから。
この小説は、戦争だけでなく人間さえも幻影であるかのように描く。自分の意思で自分の生を生きている人物はいない。誰もが、正体のよくわからない「戦争」なるものに従って受け身に生かされる。公共事業のはずなのに、誰のどんな利益になっているのかも不明だ。
このつかみどころのないぼんやりした空気感は、どこから来るのか? そのヒントの一つが、アメリカの政治学者P・W・シンガーの研究書『戦争請負会社』に書かれている。
この本は、現代の世界で戦争がいかに民営化され、国家の専有物ではなくなっているかを明らかにする。戦闘行為はもちろん、戦場における軍備や物資の輸送補給といった兵站行為、国軍の訓練に至るまで、専門的に引き受ける民間の業者がおり、いまや国家の安全保障は民間企業なしには考えられないという。しかし、軍事を営利企業へ委託することには、責任の拡散という危うい問題がつきまとう。
『となり町戦争』でも、当事者である二つの町は、それぞれ複数のコンサルティング会社と契約し、戦争にまつわる業務全般を委託している。ただでさえ輪郭の不鮮明なお役所的戦争は、営利目的の業者が間に入ることで、誰が戦争の責任を取るのか、いっそう曖昧になる。
ちなみに、戦争民営化が始まったのも、『となり町戦争』が構想されたのも、湾岸戦争のころだそうだ。
どんな非情な行為が陰では行われているのか、この戦争の実態は何なのか、そういった謎解きを期待すると、肩すかしを食らう。この小説は、戦争の実態を書こうとしたものではなく、戦争に現実感を抱けない私たち自身の、不気味な自画像なのだから。
この小説は、戦争だけでなく人間さえも幻影であるかのように描く。自分の意思で自分の生を生きている人物はいない。誰もが、正体のよくわからない「戦争」なるものに従って受け身に生かされる。公共事業のはずなのに、誰のどんな利益になっているのかも不明だ。
このつかみどころのないぼんやりした空気感は、どこから来るのか? そのヒントの一つが、アメリカの政治学者P・W・シンガーの研究書『戦争請負会社』に書かれている。
この本は、現代の世界で戦争がいかに民営化され、国家の専有物ではなくなっているかを明らかにする。戦闘行為はもちろん、戦場における軍備や物資の輸送補給といった兵站行為、国軍の訓練に至るまで、専門的に引き受ける民間の業者がおり、いまや国家の安全保障は民間企業なしには考えられないという。しかし、軍事を営利企業へ委託することには、責任の拡散という危うい問題がつきまとう。
『となり町戦争』でも、当事者である二つの町は、それぞれ複数のコンサルティング会社と契約し、戦争にまつわる業務全般を委託している。ただでさえ輪郭の不鮮明なお役所的戦争は、営利目的の業者が間に入ることで、誰が戦争の責任を取るのか、いっそう曖昧になる。
ちなみに、戦争民営化が始まったのも、『となり町戦争』が構想されたのも、湾岸戦争のころだそうだ。
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