書評
『千々にくだけて』(講談社)
今年上半期の芥川賞は阿部和重の『グランド・フィナーレ』だったが、私が秘かに同時受賞したはずの幻の作品と位置づけているのが、リービ英雄の『千々にくだけて』(講談社)である。ノミネートもされていないので受賞の可能性はなかったけれど、ノミネートされないこと自体が事件であるような、画期的小説だ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆年は2005年)。
日本語文学の翻訳家エドワードは、二〇〇一年九月一一日、ワシントンの母とニューヨークにいる妹に会うため、成田を発つ。だが経由地のバンクーバーに到着したとき、あの【傍点=あの】テロ事件が起きたことが機内で放送され、そのまま彼は足止めを食らう。
それから東京に帰るまでの七日間、宙ぶらりんに留め置かれたエドワードの行動が、貿易センタービル同様、千々にくだけた言葉で、克明に描かれる。テレビから聞こえてくる英語の言葉は、エドワードの頭の中で奇妙な日本語に置き換わり、彼は何が起こっているのか考えるための言葉を失ってしまう。
これはリービ英雄の実体験である。彼は実際にあのとき言葉を粉砕されのだ、と私は思う。三年の月日をかけてその千々にくだけた破片を丁寧に拾い、よみがえらせたのがこの小説だ。最後に立ち現れるトーテムポールは、異文化との衝突の跡地に再生する、新たに融合した言葉の象徴だろう。
カタルーニャの若手小説家アルベール・サンチェス・ピニョルが書いた『冷たい肌』(中央公論新社)も、衝突と生き残りを描いている。
南極近くの無人島へ渡った気象観測官は、未知の水棲生物から襲撃を受け、粗野な灯台守とともに戦いに明け暮れる。しかし彼は次第に、人間が両棲類化したような姿の敵と、自分たち人間とを隔てる境界がわからなくなり、共存の手がかりをつかんでいく。そのきっかけとなるのが、人間に拾われ性欲を満たす存在となった、抜群のボディを誇る「メス」だという設定はちょっといただけないが、少年期にこのようなSF小説に胸躍らせた記憶を思い起こす、懐かしい香りに満ちた作品であった。
日本語文学の翻訳家エドワードは、二〇〇一年九月一一日、ワシントンの母とニューヨークにいる妹に会うため、成田を発つ。だが経由地のバンクーバーに到着したとき、あの【傍点=あの】テロ事件が起きたことが機内で放送され、そのまま彼は足止めを食らう。
それから東京に帰るまでの七日間、宙ぶらりんに留め置かれたエドワードの行動が、貿易センタービル同様、千々にくだけた言葉で、克明に描かれる。テレビから聞こえてくる英語の言葉は、エドワードの頭の中で奇妙な日本語に置き換わり、彼は何が起こっているのか考えるための言葉を失ってしまう。
これはリービ英雄の実体験である。彼は実際にあのとき言葉を粉砕されのだ、と私は思う。三年の月日をかけてその千々にくだけた破片を丁寧に拾い、よみがえらせたのがこの小説だ。最後に立ち現れるトーテムポールは、異文化との衝突の跡地に再生する、新たに融合した言葉の象徴だろう。
カタルーニャの若手小説家アルベール・サンチェス・ピニョルが書いた『冷たい肌』(中央公論新社)も、衝突と生き残りを描いている。
南極近くの無人島へ渡った気象観測官は、未知の水棲生物から襲撃を受け、粗野な灯台守とともに戦いに明け暮れる。しかし彼は次第に、人間が両棲類化したような姿の敵と、自分たち人間とを隔てる境界がわからなくなり、共存の手がかりをつかんでいく。そのきっかけとなるのが、人間に拾われ性欲を満たす存在となった、抜群のボディを誇る「メス」だという設定はちょっといただけないが、少年期にこのようなSF小説に胸躍らせた記憶を思い起こす、懐かしい香りに満ちた作品であった。