書評
『のりたまと煙突』(文藝春秋)
はっとする日常へのまなざしの意外さ
日常生活で観察されるささやかな出来事を描かせて、星野博美の右に出る書き手はめったにいない。さらにそこから結末までの、間然するところのない展開。例えばこんな話がある。
「私」はカフェでランチを食べていた。給仕したのは、いつもはルーズソックスを穿いていそうな女の子。そそっかしく、フォークを落としてアイスクリームのグラスを割ったのにも気づかない。最近の若い女性に、こういう体の末端に力が入らない人が多い。そんな状態で、君たちこの過酷な世界を生き延びられるのかい、と「私」は思う。なんだか腹も立った。
その後、別のファミレスで、ウエートレスがスプーンを落としてグラスを割った。客の中年男性はグラスをじっと見つめ、こうつぶやいた。
「俺の人生、今日で終わっちゃったりして」
ひきつっていたウエートレスの顔が、明るく溶けた。
同じ瞬間の異なる反応に、中年客と自分の人生が凝縮されている。「私」はどうしようもなく、落ちこんだ……。
ささいな変化を見逃さぬ観察眼が、こまやかな感性に濾過され、一瞬、するどい思考に転じる。ここに、現代最良のモラリストがいる。
東京の中央線沿線でなぜ飛びこみ自殺が多いのかという謎を扱った章も興味深い。著者が愛する香港の風景と比べて、東京という都市、いや日本という国の風景の本質をえぐりだす見事なエッセーだ。
そういえば、この本には死を扱った文章が多い。家族の、友人の、愛猫の死。人は死をいたむ。その悲しみ。人は死を忘れる。そのエゴイズム。「すべてを忘れて、私たちは幸せに近づいたのだろうか」
星野博美はつねに物事の隠された一面に目を向ける。そのまなざしの意外さに、読者ははっと胸をつかれる。そして、自分もしゃんと背筋を正したいと思う。そんなスリリングで感動的なショートエッセーが50編もつまっている。
「最後のクリスマス」という話など、近頃ほとんど見ない短編小説の模範のような切れ味だ。一つ一つのタイトルのうまさにも惚れ惚れする。
朝日新聞 2006年06月25日
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