書評
『負けいくさの構造―日本人の戦争観』(平凡社)
日本人の戦争観点検の試論
日本人は、ほとんど他民族との戦争を経験せずに近代社会へ突入した。これはきわめて特異な歴史といえる。したがって近代以降、日清・日露戦争から大東亜戦争まで他民族との戦争においても、日本人同士の戦争における暗黙の了解のような一人合点がみられなかったかどうか、一度、考えてみてもよい事柄なのである。著者は「平家物語」の、ほとんど忘れられている猪俣小平六のエピソードを引く。小平六は、一の谷の合戦の折、平家の勇将・越中前司盛俊と取っ組み、押さえつけられて動けなくなった。このままでは首を取られると思った小平六は「降参するから助けてくれ」と懇願し、「平家は負ける形勢にあるが、自分の一族は源氏に多く居るので、いざとなったら助けてやることができる」などとうまいことを言う。盛俊が油断したところを、小平六が刺し殺し、一番首の恩賞を得たのだ。
今日の読者なら小平六を狡猾(こうかつ)と思うが、当時、彼を謗(そし)る者はいなかった。虚言も弁舌も勝つための手段であり、知謀は賞賛さるべき技術だったのである。しかし、中世に入るにつれ、人を欺く卑怯(ひきょう)な手段は軽蔑(けいべつ)されるようになっていく。以後、日本人同士の戦争においては、腕力と気力という動物的能力を第一において、智力の争いを遠ざける傾向が生まれた。「たたかい」の美意識を高めて、逆に「いくさ」の技術を軽視するようになった。正直、真面目が優先され、だましの技術は制限されるに至ったのである。
著者は、最後の日本人同士の戦争、西南戦争の分析を、「敗軍の将、兵を語らず」のままに終わらせず、できる限りの資料を集め敗者の側から追跡しようと試みた。実際、学徒兵であった著者は、自分の戦争体験にどこか西南戦争の残滓(ざんし)を感じていたのであろう。本書の評価を、「自分で採点してみると六〇点」と著者は述べているように、後半やや尻切れの感が否めない。だが試論としてなら刺激は充分にある。
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