書評
『もののけの日本史-死霊、幽霊、妖怪の1000年』(中央公論新社)
過去から現在に至る精神のありようを探る
「真景 累ヶ淵」など怪談噺でも知られる大名人・三遊亭円朝は「(文明)開化先生方」と皮肉ったそうだ。私はその端くれなので、正直なところ、「お化け・怪異」などの話は科学的研究の対象になるわけがない、と初めから切って捨てる態度を取っていた。だが、それは全くの誤りである。本書を読めば、直ちに分かる。先日、沖縄のリゾートホテルに向け、車を運転していた。街灯はなく、周囲は真っ暗。反射板だけが道の存在を示していて、何も見えない。車のライトは時折、道沿いの亀甲墓を照らし出す。そんな状況で、ああこの地域では先の戦争で多くの方が犠牲になったのだなあ、と考えた途端に背筋が凍りついた。妻子が同乗していなかったら、運転を放棄していただろう。
人は誰しも、死を感得すると「畏れ・怖れ」をもつ。この「正体の分からない死霊、もしくはその気配」を指して、古代人は「モノノケ」と呼んだ。だから、モノノケの研究とは、日本人の過去から現代に至る精神のありようを明らかにする、きわめて価値ある試みに他ならない。
古代人はモノノケが病をもたらすと考えた。だから、仏教などの力を借りて、モノノケの正体を明らかにし、供養したり調伏したりして病から逃れようとした。本書にはその具体的な手立てが記されており、古い時代を知っているはずの私が、ああそうか、と何度も感嘆した。物理世界の叙述に終始する他の歴史書に書かれていないことを、多く教えてくれる良書である。
欲張りな望みを記す。日本人はモノノケや神や仏といった、精神的な存在の実在をどこまで信じていたのだろうか。自らの手で命を刈り取る武士の台頭は、モノノケ観にどんな変化をもたらしたのか。著者の考えを教えていただく機会を切望する。