書評
『かくも美しく、かくもけなげな―「中国のタカラヅカ」越劇百年の夢』(草の根出版会)
「京劇」ならば、多くの人はその言葉を聞いたことがあるであろう。劇団の数では「越劇」が京劇に次ぐ規模ながら、日本ではほとんど知られていない。ほんらい日本人にとって京劇よりも越劇のほうが馴染みやすく肌に合うという。だが、これまで入門書も専門書も皆無であった。この知られざる演劇について、はじめての紹介本がついに刊行された。
江南の水郷に生まれたメロドラマはなぜこのように人々を感動させたのか。謎を解き明かすべく、著者は二十年以上、劇場に通い続けてきた。研究者として上から見下ろすのではなく、「追っかけ」としての視線も取り入れられている。何が大衆を泣かせるかを知るには、むしろ後者のほうが役立つであろう。越劇は俳優とファンの、感情の共同体によって支えられている。舞台の面白さ、俳優たちの魅力、芝居の見どころなどは、ファンの目を通して追体験しないと、わからない部分が多い。
わたしは越劇のことなら、ある程度知っていると思っていた。母親が強烈な越劇ファンで、子どもの頃からラジオでさんざん聞かされていた。だが、本書を読んで自分の無知を恥じた。越劇は女優だけの演劇で、男女共演になったのは、社会主義政府の指導によるものだと思っていたが、じつはそうではない。越劇が誕生したときは男優だけで、その後、男女共演と女優だけの二派に分かれて今日にいたった。女優だけの劇団が出来上がったのは、さまざまな偶然が重なった結果で、必ずしも政治的な理由だけではない。現代劇の試みは一九三〇年代にさかのぼるのも初めて知った。
越劇の発展をたどっていくと、中国の近代史そのものが見えてきた。もしアヘン戦争が起こらなかったら、浙江省の片田舎で生まれた民謡が上海という半植民地都市で演劇に発展することもなかったであろう。第二次世界大戦、国共内戦、文化大革命など政治や社会の大変動はいずれも越劇と深いかかわりがあったことには驚かされた。この演劇はまるで近代政治の体温計のようなものだ。
中国の多くの演劇には「伝統」という神話が付きまとう。越劇も例外ではない。古代の服装を身につけ、古い物語さえ演じていれば、誰もが伝統演劇だと思ってしまう。事実はその逆だ。近代都市空間の誕生、産業の発展に伴う人口の移動、目まぐるしく変化する国際・国内政治、それらのすべてが複雑に相互作用して、この豪華絢欄な舞台芸術を結実させた。一見、因習的だが、じつは新劇からも映画からも新しい表現手法をどん欲に吸収しながら、伝統を巧みに擬装した。
タカラヅカとの比較はとりわけ興味を引く。同じ大衆的な情念に応える演劇でも、両者は正反対の特徴を持っている。片方は懐古的、土着的な情緒に訴え、片方は欧米憧憬の心情を前面に押し出している。しかし、俳優と観客の関係、カタルシスの様式、さらには演劇的な情緒の消費形式において、両者は驚くほど似ている。ここから一歩踏み込んでほしいところで議論が終わってしまうのが残念だが、次作ではぜひ展開してほしい。
一般向けの書物として、気になることがいくつかある。越劇の仕組みについて、最低限に必要な説明が足りない。たとえば、役柄の分け方とその意味、メイクや衣裳やかぶり物の特色、男女役のしぐさの違いなどは紹介されていない。専門家にとっては初歩的で不必要なのかもしれないが、だからといって説明を省略するのは、不親切ではないか。追っかけの写真も削ったほうがすっきりするであろう。
【この書評が収録されている書籍】
江南の水郷に生まれたメロドラマはなぜこのように人々を感動させたのか。謎を解き明かすべく、著者は二十年以上、劇場に通い続けてきた。研究者として上から見下ろすのではなく、「追っかけ」としての視線も取り入れられている。何が大衆を泣かせるかを知るには、むしろ後者のほうが役立つであろう。越劇は俳優とファンの、感情の共同体によって支えられている。舞台の面白さ、俳優たちの魅力、芝居の見どころなどは、ファンの目を通して追体験しないと、わからない部分が多い。
わたしは越劇のことなら、ある程度知っていると思っていた。母親が強烈な越劇ファンで、子どもの頃からラジオでさんざん聞かされていた。だが、本書を読んで自分の無知を恥じた。越劇は女優だけの演劇で、男女共演になったのは、社会主義政府の指導によるものだと思っていたが、じつはそうではない。越劇が誕生したときは男優だけで、その後、男女共演と女優だけの二派に分かれて今日にいたった。女優だけの劇団が出来上がったのは、さまざまな偶然が重なった結果で、必ずしも政治的な理由だけではない。現代劇の試みは一九三〇年代にさかのぼるのも初めて知った。
越劇の発展をたどっていくと、中国の近代史そのものが見えてきた。もしアヘン戦争が起こらなかったら、浙江省の片田舎で生まれた民謡が上海という半植民地都市で演劇に発展することもなかったであろう。第二次世界大戦、国共内戦、文化大革命など政治や社会の大変動はいずれも越劇と深いかかわりがあったことには驚かされた。この演劇はまるで近代政治の体温計のようなものだ。
中国の多くの演劇には「伝統」という神話が付きまとう。越劇も例外ではない。古代の服装を身につけ、古い物語さえ演じていれば、誰もが伝統演劇だと思ってしまう。事実はその逆だ。近代都市空間の誕生、産業の発展に伴う人口の移動、目まぐるしく変化する国際・国内政治、それらのすべてが複雑に相互作用して、この豪華絢欄な舞台芸術を結実させた。一見、因習的だが、じつは新劇からも映画からも新しい表現手法をどん欲に吸収しながら、伝統を巧みに擬装した。
タカラヅカとの比較はとりわけ興味を引く。同じ大衆的な情念に応える演劇でも、両者は正反対の特徴を持っている。片方は懐古的、土着的な情緒に訴え、片方は欧米憧憬の心情を前面に押し出している。しかし、俳優と観客の関係、カタルシスの様式、さらには演劇的な情緒の消費形式において、両者は驚くほど似ている。ここから一歩踏み込んでほしいところで議論が終わってしまうのが残念だが、次作ではぜひ展開してほしい。
一般向けの書物として、気になることがいくつかある。越劇の仕組みについて、最低限に必要な説明が足りない。たとえば、役柄の分け方とその意味、メイクや衣裳やかぶり物の特色、男女役のしぐさの違いなどは紹介されていない。専門家にとっては初歩的で不必要なのかもしれないが、だからといって説明を省略するのは、不親切ではないか。追っかけの写真も削ったほうがすっきりするであろう。
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