書評
『ものがたり 芸能と社会』(白水社)
俳優・小沢昭一の初めての著書『私は河原乞食・考』が出版されたのは今からちょうど三十年前のことだった。ファンの私はもちろん読んだ。芸能および芸人に関して新しい視角が与えられて面白かったが……しかし、正直言ってその後の小沢昭一の民衆芸能研究にはほとんど興味が持てなかった。
「芸」はあっても「今」はない。そういうものに執着しても仕方ないじゃないか。それより「芸」はなくても「今」があるほうが面白い――という気持が私にはあった。
しかし、ああ、私が悪うございました。三十年後の今、『ものがたり芸能と社会』(白水社)を読んで、小沢昭一の真意がやっとわかった。小沢昭一は一貫して自分の「今」を考えるために芸能の始原にさかのぼる旅を続けてきたのだった。そのモチベーションがこの本の全巻にはっきりと見える。だから、読んでいる私のほうも、「今」の問題をあれこれ類推させられて、新鮮に面白いのだ。
例えば、アメノウズメノミコト伝説とウミヒコ・ヤマヒコ伝説を引きながら芸能の二要素(①陶酔没入志向の芸能②写実滑稽志向の芸能)を説明するくだりを読むと、これは芸能に限らず文筆の世界にもまったく当てはまることだなあ、そうか私の偏愛するものは後者というわけか、と脇に落ちるし、かつて浄土真宗は節談(ふしだん)説教によって信者を獲得していたというくだりを読むと、アメリカのゴスペルや近頃の新宗教の洗脳(?)パフォーマンスのあれこれを連想したりする。
最も衝撃的なのは、梅棹忠夫の説を引きながら、今の芸能は「見せる」から「やる」にどんどん進んで行き、芸人は一種のインストラクターとして生きのびるしかないのではないか――と指摘している所だ。うーん……全芸能カラオケ化というわけね。小沢昭一はその説に強いリアリティーを感じながらも強く反発もしている。そのジレンマに「今」を感じる。
放送大学の講座をまとめたものだが、表現は平易にこなれていて読みやすい。
【この書評が収録されている書籍】
「芸」はあっても「今」はない。そういうものに執着しても仕方ないじゃないか。それより「芸」はなくても「今」があるほうが面白い――という気持が私にはあった。
しかし、ああ、私が悪うございました。三十年後の今、『ものがたり芸能と社会』(白水社)を読んで、小沢昭一の真意がやっとわかった。小沢昭一は一貫して自分の「今」を考えるために芸能の始原にさかのぼる旅を続けてきたのだった。そのモチベーションがこの本の全巻にはっきりと見える。だから、読んでいる私のほうも、「今」の問題をあれこれ類推させられて、新鮮に面白いのだ。
例えば、アメノウズメノミコト伝説とウミヒコ・ヤマヒコ伝説を引きながら芸能の二要素(①陶酔没入志向の芸能②写実滑稽志向の芸能)を説明するくだりを読むと、これは芸能に限らず文筆の世界にもまったく当てはまることだなあ、そうか私の偏愛するものは後者というわけか、と脇に落ちるし、かつて浄土真宗は節談(ふしだん)説教によって信者を獲得していたというくだりを読むと、アメリカのゴスペルや近頃の新宗教の洗脳(?)パフォーマンスのあれこれを連想したりする。
最も衝撃的なのは、梅棹忠夫の説を引きながら、今の芸能は「見せる」から「やる」にどんどん進んで行き、芸人は一種のインストラクターとして生きのびるしかないのではないか――と指摘している所だ。うーん……全芸能カラオケ化というわけね。小沢昭一はその説に強いリアリティーを感じながらも強く反発もしている。そのジレンマに「今」を感じる。
放送大学の講座をまとめたものだが、表現は平易にこなれていて読みやすい。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 1999年1月17日
朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。
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