書評
『遠い町から来た話』(河出書房新社)
二〇〇〇年秋、河出書房新社は柴田元幸とタッグを組んで、エドワード・ゴーリーという蠱惑的な絵物語作家を日本の読者に紹介してくれた。あれから十一年、河出書房新社は岸本佐知子と共に、ショーン・タンという若きイラストレーション作家の素晴らしい仕事をわたしたちに届けてくれている(ALLREVIEWS事務局注:本書評執筆年は2011年)。
ショーン・タンが日本に紹介されたのは今年の春。災害だろうか、戦争だろうか。何か大きな事件がきっかけで移民せざるを得なくなった男が異国へ赴き、そこで友人を作り、仕事と居場所を見つけ、妻子を呼び寄せて新しい生活を始め、やがて新たな移民者を温かく迎える側になるまでを、言葉を一切使わず、画業だけで表現した『アライバル』だった。この時、帯に「翻訳したくて、翻訳できなくて、地団駄をふみました」と推薦文を寄せていたのが岸本佐知子。地団駄をふんだ甲斐あって、この『遠い町から来た話』では翻訳を担当している。というのは冗談で、きっと担当編集者の頭の中には、最初からショーン・タンには岸本佐知子という案があったのだろうし、実際、両者の相性は抜群だとも思う。
町はずれの草ボウボウの空き地にいて、相談ごとをすると左のひづめを上げて、どっちの方角に行けばいいか指し示す水牛。とっても不思議な交換留学生。よろよろあてどなくさまよう潜水夫を助けてあげる幼い兄弟。どしゃぶりの雨と共に降ってくるたくさんの詩の断片。ある日突然前庭の芝生の上に横たわっていたジュゴン。結婚するためには大変なミッションをクリアしなくてはならなかったという話を、お祖父さんから聞かされる少年。隠し中庭が出現する家に住む一家。物言わぬ歩哨のように、町のそこここに立っている無抵抗な棒人間。真夜中に大きなトナカイが現れて、屋根の上に置いておいた愛する品物を枝角にひっかけ持ち去っていく現象が起きる祝日。記憶喪失装置に関する記事が載っている新聞。一家に一基配備され、メンテナンスも任されている大陸間弾道ミサイルを思い思いに飾る人々。飼い犬を殴り殺した男の、火事になった家をじっと見つめ続ける犬たち。誰にも愛されなくなった物たちから愛らしいペットを手作りする方法。ストリートマップの一番端っこまで行って、その先がどうなっているか確かめようとする兄弟。
物語ごとにちがう画風、そのそれぞれが独特で特別で目を奪う絵。原文がどうなのかはわからないけれど、物語ごとに異なる雰囲気をかもす絵に、いちいちぴったりな文章を選ぼうと腐心した訳文にのって伝えられるストーリーの妙。すべてがこの上もなく素晴らしいのだけれど、わたしの中に真っ直ぐ強烈な速さで飛び込んできて、心の扉をがんがん叩いた一篇は「カメ救出作戦の夜」。胸と目頭がカッと熱くなるこの物語と絵を、わたしは絶対に生涯忘れないし、忘れたくない。
さて、目次が切手になっている趣向が嬉しいこの本を読み終えたら、たくさんの小さなスケッチで埋め尽くされている見返しをじっくり眺めてみて下さい。すると、あなたがこれまで読んで/見てきた物語の大事な場面が見つかるはず。絵がとても上手な空想好きの子供が、教科書やノートの端っこに鉛筆で描いたいたずら書きのようなカットから、作者がどんな物語を紡いでいったのか。それに気づくと、本篇を読み返したくなる。で、その後、再び見返しをじっくり眺めてみると、前の時には発見できなかった場面を見つけてニッコリしてしまう。そしてまた本篇へ……。一度開いたら、なかなか自分の「今・此処」に戻ってこられなくなる。これは、そんな握力の強い魅力を備えた絵物語集なんです。
【この書評が収録されている書籍】
ショーン・タンが日本に紹介されたのは今年の春。災害だろうか、戦争だろうか。何か大きな事件がきっかけで移民せざるを得なくなった男が異国へ赴き、そこで友人を作り、仕事と居場所を見つけ、妻子を呼び寄せて新しい生活を始め、やがて新たな移民者を温かく迎える側になるまでを、言葉を一切使わず、画業だけで表現した『アライバル』だった。この時、帯に「翻訳したくて、翻訳できなくて、地団駄をふみました」と推薦文を寄せていたのが岸本佐知子。地団駄をふんだ甲斐あって、この『遠い町から来た話』では翻訳を担当している。というのは冗談で、きっと担当編集者の頭の中には、最初からショーン・タンには岸本佐知子という案があったのだろうし、実際、両者の相性は抜群だとも思う。
町はずれの草ボウボウの空き地にいて、相談ごとをすると左のひづめを上げて、どっちの方角に行けばいいか指し示す水牛。とっても不思議な交換留学生。よろよろあてどなくさまよう潜水夫を助けてあげる幼い兄弟。どしゃぶりの雨と共に降ってくるたくさんの詩の断片。ある日突然前庭の芝生の上に横たわっていたジュゴン。結婚するためには大変なミッションをクリアしなくてはならなかったという話を、お祖父さんから聞かされる少年。隠し中庭が出現する家に住む一家。物言わぬ歩哨のように、町のそこここに立っている無抵抗な棒人間。真夜中に大きなトナカイが現れて、屋根の上に置いておいた愛する品物を枝角にひっかけ持ち去っていく現象が起きる祝日。記憶喪失装置に関する記事が載っている新聞。一家に一基配備され、メンテナンスも任されている大陸間弾道ミサイルを思い思いに飾る人々。飼い犬を殴り殺した男の、火事になった家をじっと見つめ続ける犬たち。誰にも愛されなくなった物たちから愛らしいペットを手作りする方法。ストリートマップの一番端っこまで行って、その先がどうなっているか確かめようとする兄弟。
物語ごとにちがう画風、そのそれぞれが独特で特別で目を奪う絵。原文がどうなのかはわからないけれど、物語ごとに異なる雰囲気をかもす絵に、いちいちぴったりな文章を選ぼうと腐心した訳文にのって伝えられるストーリーの妙。すべてがこの上もなく素晴らしいのだけれど、わたしの中に真っ直ぐ強烈な速さで飛び込んできて、心の扉をがんがん叩いた一篇は「カメ救出作戦の夜」。胸と目頭がカッと熱くなるこの物語と絵を、わたしは絶対に生涯忘れないし、忘れたくない。
さて、目次が切手になっている趣向が嬉しいこの本を読み終えたら、たくさんの小さなスケッチで埋め尽くされている見返しをじっくり眺めてみて下さい。すると、あなたがこれまで読んで/見てきた物語の大事な場面が見つかるはず。絵がとても上手な空想好きの子供が、教科書やノートの端っこに鉛筆で描いたいたずら書きのようなカットから、作者がどんな物語を紡いでいったのか。それに気づくと、本篇を読み返したくなる。で、その後、再び見返しをじっくり眺めてみると、前の時には発見できなかった場面を見つけてニッコリしてしまう。そしてまた本篇へ……。一度開いたら、なかなか自分の「今・此処」に戻ってこられなくなる。これは、そんな握力の強い魅力を備えた絵物語集なんです。
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