書評
『コレクター蒐集』(東京創元社)
自分の耳垢、ミニカー、スーパーボール、石、ちびた鉛筆等々。これまでにわたしが集めてきたささやかな物たち。誰もがそんなリストを持っているに違いない。そう、生まれてから一度も何かを集めたことのない人間など、この世に存在するはずがないのだ。というわけで、文学作品にも多々コレクターという人種が登場し、飽くなき所有欲をもって小さな王国のキングになりたがる人間の愛すべき姿を、よく伝えてくれる。とはいえ、蒐集された物の視点から描かれるコレクターの姿は珍しいのではないだろうか。ティボール・フィッシャー『コレクター蒐集』は、まさにその珍奇なタイプの小説なのである。
語り手は六千年以上もの間、様々な人間の手を渡り歩いてきた碗。が、ただの碗じゃない。時に退屈なウェッジウッドに、時にゴルゴンの頭が描かれた華麗な両取っ手付きのアンフォラに、そして時には人間そっくりにと、自らの形を自在に変えることのできる妖怪めいた碗なのだ。その碗の鑑定を任されているローザがまた異能の持ち主。彼女は物に触れることで、その過去を見通す力を持っているのだ。碗がローザに見せるコレクターたちの物語。しかし、碗も負けてはいない。ローザの心に手を伸ばして、彼女の過去を味わうのだった。
冷凍イグアナで弁護士を殴る墓泥棒、死にたくても死ねない男、書く物書く物がタッチの差でディケンズやダーウィンらに先を越された挙げ句、狂った詩人だけを収容する精神病院を作った女など、碗が見せるシニカルな人間カタログは、それぞれ独立した短編小説として成立するほど読み応えのあるものばかり。その上、完壁な男を求めては失敗を繰り返しているローザが司る現在のパートがまた愉快なのだ。なんせローザときたら、恋の相談で有名なコラムニストを井戸に閉じこめてアドバイスを強要。それほど唯一無二の男性に巡り会うことを切望しているんである。彼女の家に転がりこんできた手癖と身持ちの悪い女ニキと、親友レタスを交えた男談義なんか、今人気のTVドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』もかくやの赤裸々さ。おまけにニキに恨みを持つ殺し屋までが登場しーー。
そうしたいかにも今風のエピソードと碗が語る寓話のような物語との語り口のギャップが、小説の奥行きを深めている。その声域の広さこそが、フィッシャーの魅力の核だと思う。こんなにたくさんの物語と語り口が楽しめて、たったの千五百円!半額バーガー並みの価格破壊です。
【この書評が収録されている書籍】
語り手は六千年以上もの間、様々な人間の手を渡り歩いてきた碗。が、ただの碗じゃない。時に退屈なウェッジウッドに、時にゴルゴンの頭が描かれた華麗な両取っ手付きのアンフォラに、そして時には人間そっくりにと、自らの形を自在に変えることのできる妖怪めいた碗なのだ。その碗の鑑定を任されているローザがまた異能の持ち主。彼女は物に触れることで、その過去を見通す力を持っているのだ。碗がローザに見せるコレクターたちの物語。しかし、碗も負けてはいない。ローザの心に手を伸ばして、彼女の過去を味わうのだった。
冷凍イグアナで弁護士を殴る墓泥棒、死にたくても死ねない男、書く物書く物がタッチの差でディケンズやダーウィンらに先を越された挙げ句、狂った詩人だけを収容する精神病院を作った女など、碗が見せるシニカルな人間カタログは、それぞれ独立した短編小説として成立するほど読み応えのあるものばかり。その上、完壁な男を求めては失敗を繰り返しているローザが司る現在のパートがまた愉快なのだ。なんせローザときたら、恋の相談で有名なコラムニストを井戸に閉じこめてアドバイスを強要。それほど唯一無二の男性に巡り会うことを切望しているんである。彼女の家に転がりこんできた手癖と身持ちの悪い女ニキと、親友レタスを交えた男談義なんか、今人気のTVドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』もかくやの赤裸々さ。おまけにニキに恨みを持つ殺し屋までが登場しーー。
そうしたいかにも今風のエピソードと碗が語る寓話のような物語との語り口のギャップが、小説の奥行きを深めている。その声域の広さこそが、フィッシャーの魅力の核だと思う。こんなにたくさんの物語と語り口が楽しめて、たったの千五百円!半額バーガー並みの価格破壊です。
【この書評が収録されている書籍】
初出メディア

ダカーポ(終刊) 2003年5月15日号
ALL REVIEWSをフォローする




































