書評
『蚊が歴史をつくった: 世界史で暗躍する人類最大の敵』(青土社)
戦争の帰趨決める要因に
ナポレオンやヒトラーを撃退したロシアの「冬将軍」は有名だが、本書によれば世界最強なのはマラリア原虫の媒介者「ハマダラカ将軍」であるという。ただし、蚊との戦いは人類誕生と同時に始まっていた。すなわち、人類は出アフリカ前に突然変異で鎌状赤血球やダッフィー抗原陰性などの抗マラリア手段を開発したが、居住域がユーラシアに拡大し、灌漑(かんがい)農業が始まると、蚊の逆襲に晒されることになる。
蚊が世界史に登場した最初はペルシャ戦争である。「蚊はすぐさま、疑うことを知らない不運な外国の兵士たちに自らの存在を知らしめた。すぐにマラリアと赤痢がペルシア兵の命を奪い、全軍の四〇パーセントを超える兵が亡くなった」
以後、戦争ではこのパターンが繰り返される。アレクサンドロス大王のインド遠征、ローマを包囲したカルタゴのハンニバル、西ゴートのアラリック王、そしてフン族のアッティラ。攻撃軍は守備軍に比べて現地の蚊に対する耐性が少ない分、マラリア罹患率が高くなるからだ。とりわけ古イタリア語で「悪い空気」を意味するマラリアを媒介するハマダラカはポンティノ湿地を拠点にローマの援軍として働いたが、ローマ帝国全体から見ると反乱軍だったかもしれない。帝国領拡大に伴い、イングランドやデンマークまで運ばれたマラリアが次第に帝国全体を弱体化させていったからだ。
十字軍遠征の失敗もまたマラリアで説明できる。レバントや聖地地方はマラリア猖獗(しょうけつ)の地であり、十字軍はリチャード獅子心王をはじめとしてマラリアに苛まれたが、イスラム教徒はマラリアに遺伝子的に免疫があり、十字軍を圧倒したからだ。モンゴル軍の進撃をヨーロッパとレバントと東南アジアで止めたのもマラリアであった。
しかし、「蚊が歴史をつくった」例として最も雄弁なのは「コロンブス交換」だろう。
コロンブス到着まで蚊媒介伝染病を知らなかったアメリカ先住民は「新たに到着したヨーロッパ人やアフリカ人奴隷、そして密航した蚊の波が」押し寄せてきて、無害だったハマダラカがマラリア媒介役に変わると「記録的な速さで」死んでいった。
そのため、労働力不足を補うためスペインやポルトガルはアフリカから黒人奴隷を新大陸に送り込んだ。アフリカ人には鎌状赤血球やダッフィー抗原陰性などの免疫があり、マラリアには強かったが、彼らとともに今度はヤブカと黄熱ウイルスが新大陸に上陸した。こうして世界中に拡散したマラリア原虫と黄熱ウイルスが、以後の戦争、すなわち七年戦争、アメリカ独立戦争と南北戦争、第二次大戦の帰趨を決める要因となる。
たとえばガダルカナルで六万人のマラリア患者を出したアメリカ軍は開発されたばかりのDDTに飛びつき、大量散布作戦を展開、マラリアに疲弊した日本軍を圧倒した。こうして、人類はついに蚊との戦いに勝つ武器を見つけたかに思われたが……。
いまや耐性を獲得したマラリア原虫と人類との戦争は地球温暖化に伴い新しいフェーズに突入しつつある。
歴史修正主義とはまったく違った意味で、「世界史の見直し」を強いる本である。
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