書評

『吉右衛門:「現代」を生きた歌舞伎役者』(慶應義塾大学出版会)

  • 2026/07/08
吉右衛門:「現代」を生きた歌舞伎役者 / 渡辺 保
吉右衛門:「現代」を生きた歌舞伎役者
  • 著者:渡辺 保
  • 出版社:慶應義塾大学出版会
  • 装丁:単行本(352ページ)
  • 発売日:2023-07-22
  • ISBN-10:4766429028
  • ISBN-13:978-4766429022
内容紹介:
舞台の景色を描いてその意味を検証する歌舞伎の世界に現代にも通じる「人間」を発見し、先人からの型を身体化すると同時に、現代的な意味を付与した吉右衛門。近代から現代へと歌舞伎の歴史… もっと読む
舞台の景色を描いてその意味を検証する

歌舞伎の世界に現代にも通じる「人間」を発見し、先人からの型を身体化すると同時に、現代的な意味を付与した吉右衛門。近代から現代へと歌舞伎の歴史的な転換を体現した。細部にこそ神が宿る吉右衛門の舞台の景色を描いて、その芸を後世に伝える。


【目次】
吉右衛門の死

一 荒事の美しさ
飛び梅の美しさ――梅王丸『菅原伝授手習鑑』「車引」
魂を生きる――武蔵坊弁慶『勧進帳』

二 歴史の谷間に
「オーイオーイ、オオーイ」――熊谷直実『一谷嫩軍記』「陣門・組討」
「十六年はひと昔、夢だ夢だ」――熊谷直実『一谷嫩軍記』「熊谷陣屋」
二つの正義――武智光秀『絵本太功記』と『時今也桔梗旗揚』
地獄の三悪道――新中納言知盛『義経千本桜』「渡海屋・大物浦」
その第一声――松王丸『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」
二つの人生――樋口次郎兼光『ひらかな盛衰記』「逆櫓」
独裁政権下で生きる――一條大蔵卿『一條大蔵潭』
野性の迫力――金輪五郎『妹背山婦女庭訓』「御殿」
東北の風が吹く――安倍貞任『奥州安達原』「袖萩祭文」
家族とは何か――俊寛『平家女護島』「俊寛」
逢坂山の雪と桜――関守関兵衛実は大伴黒主『積恋雪関扉』

三 復活狂言三種
悪七兵衛景清『嬢景清八嶋日記』
紀有常『競伊勢物語』
由良兵庫助『神霊矢口渡』

四 実事を生きて
二つの本心――大星由良助『仮名手本忠臣蔵』「七段目」
寺子たちの家――武部源蔵『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」
「思えば佐々木兄弟が」――佐々木盛綱『近江源氏先陣館』「盛綱陣屋」
名剣の神話――梶原平三景時『梶原平三誉石切』
雪の夜に煙草を切る――唐木政右衛門『伊賀越道中双六』「岡崎」
松浦鎮信の笑み――松浦鎮信『松浦の太鼓』

五 世話物の人情
軒端の鶯――毛谷村六助『彦山権現誓助剱』「毛谷村」
仏壇の野菊――呉服屋十兵衛『伊賀越道中双六』「沼津」
「手も二本、指も十本ありながら」――浮世又平『傾城反魂香』
「悪い人でも舅は親」――団七九郎兵衛『夏祭浪花鑑』
淀川の十五夜――濡髪長五郎『双蝶々曲輪日記』「角力場」「引窓」

六 南北三悪人
藤田水右衛門『霊験亀山鉾』
民谷伊右衛門『東海道四谷怪談』
薩摩源五兵衛『盟三五大切』

七 江戸の街角で
俠客を生きる――幡随長兵衛『御存鈴ヶ森』と『湯殿の長兵衛』
「時雨時雨て」江戸の街――河内山宗俊『天衣紛上野初花』「河内山」
「菊見がてらに秋の露」――佐野次郎左衛門『籠釣瓶花街酔醒』

八 人生の終わりに
「桜の林の大島台」――大判事清澄『妹背山婦女庭訓』「山の段」
人間の自由――幸崎伊賀守『新薄雪物語』「三人笑い」

あとがき

今を生きる人間の苦渋

劇評論の泰斗が、二代目中村吉右衛門、生涯の当たり芸について正面から論じる。本文中には吉右衛門のインタビューは見当たらず、過去に書かれた芸談や劇評の引用も極めて少ない。あくまで、劇評家渡辺保が味到してきた舞台への記述で埋められている。

一昨年、亡くなった歌舞伎界を代表する名優が、昭和23年の初舞台から、祖父初代の名跡を継いだ襲名、そして最後の舞台となった令和3年「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」まで。現代の価値観からすれば、時に違和感を感じる歌舞伎の台本を掘り下げ、その一生を賭けて、「現代に稀(まれ)な古怪さを実現すると同時に、そこにリアルな人間的な感情を繰り込むことに成功した」とする。「勧進帳」の弁慶から「河内山(こうちやま)」の河内山宗俊(そうしゅん)まで、荒事や世話物、復活狂言をも扱いつつ、著者の評価軸は鮮明で揺るぎがない。

根幹にあるのは、吉右衛門が、あくまで「実事師」であるとの確信である。実事とは、今を生きる人間の苦渋、現実と立ち向かう役柄をさす。「仮名手本忠臣蔵」七段目、祇園一力茶屋の大星由良之助が代表だが、その色気、揺るがぬ意志を身体化し、舞台にのせ、観客の心を揺さぶった。

実事の芯となる役々「熊谷陣屋」の熊谷、「盛綱陣屋」の盛綱、「石切梶原」の梶原は、読み進むうちに吉右衛門の人生と重なってくる。現代に生きることを宿命づけられた歌舞伎役者。時代との距離感を引き受けて、苛酷な生を背負って立つ。その勇壮にして繊細な舞台が筆力によって蘇(よみがえ)ってくる。

私は卓抜な舞台描写に酔っていった。次第に、舞台に向かって客席にいる渡辺保の意識の流れもまたドラマとなっていると気がついた。たとえば「逆櫓(さかろ)」の樋口。「その溢(あふ)れる迫力で、平和な漁村の貧乏家屋の一隅を、戦乱の血なまぐさい風が吹き抜けていくようであった。気がついてみれば庶民の一室、しかし夢中で見ていると劇場中に戦場の風が吹き荒れて、この世からの地獄であった」と綴(つづ)る。こうして吉右衛門の舞台は、批評文芸として、歴史に刻まれることになった。
吉右衛門:「現代」を生きた歌舞伎役者 / 渡辺 保
吉右衛門:「現代」を生きた歌舞伎役者
  • 著者:渡辺 保
  • 出版社:慶應義塾大学出版会
  • 装丁:単行本(352ページ)
  • 発売日:2023-07-22
  • ISBN-10:4766429028
  • ISBN-13:978-4766429022
内容紹介:
舞台の景色を描いてその意味を検証する歌舞伎の世界に現代にも通じる「人間」を発見し、先人からの型を身体化すると同時に、現代的な意味を付与した吉右衛門。近代から現代へと歌舞伎の歴史… もっと読む
舞台の景色を描いてその意味を検証する

歌舞伎の世界に現代にも通じる「人間」を発見し、先人からの型を身体化すると同時に、現代的な意味を付与した吉右衛門。近代から現代へと歌舞伎の歴史的な転換を体現した。細部にこそ神が宿る吉右衛門の舞台の景色を描いて、その芸を後世に伝える。


【目次】
吉右衛門の死

一 荒事の美しさ
飛び梅の美しさ――梅王丸『菅原伝授手習鑑』「車引」
魂を生きる――武蔵坊弁慶『勧進帳』

二 歴史の谷間に
「オーイオーイ、オオーイ」――熊谷直実『一谷嫩軍記』「陣門・組討」
「十六年はひと昔、夢だ夢だ」――熊谷直実『一谷嫩軍記』「熊谷陣屋」
二つの正義――武智光秀『絵本太功記』と『時今也桔梗旗揚』
地獄の三悪道――新中納言知盛『義経千本桜』「渡海屋・大物浦」
その第一声――松王丸『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」
二つの人生――樋口次郎兼光『ひらかな盛衰記』「逆櫓」
独裁政権下で生きる――一條大蔵卿『一條大蔵潭』
野性の迫力――金輪五郎『妹背山婦女庭訓』「御殿」
東北の風が吹く――安倍貞任『奥州安達原』「袖萩祭文」
家族とは何か――俊寛『平家女護島』「俊寛」
逢坂山の雪と桜――関守関兵衛実は大伴黒主『積恋雪関扉』

三 復活狂言三種
悪七兵衛景清『嬢景清八嶋日記』
紀有常『競伊勢物語』
由良兵庫助『神霊矢口渡』

四 実事を生きて
二つの本心――大星由良助『仮名手本忠臣蔵』「七段目」
寺子たちの家――武部源蔵『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」
「思えば佐々木兄弟が」――佐々木盛綱『近江源氏先陣館』「盛綱陣屋」
名剣の神話――梶原平三景時『梶原平三誉石切』
雪の夜に煙草を切る――唐木政右衛門『伊賀越道中双六』「岡崎」
松浦鎮信の笑み――松浦鎮信『松浦の太鼓』

五 世話物の人情
軒端の鶯――毛谷村六助『彦山権現誓助剱』「毛谷村」
仏壇の野菊――呉服屋十兵衛『伊賀越道中双六』「沼津」
「手も二本、指も十本ありながら」――浮世又平『傾城反魂香』
「悪い人でも舅は親」――団七九郎兵衛『夏祭浪花鑑』
淀川の十五夜――濡髪長五郎『双蝶々曲輪日記』「角力場」「引窓」

六 南北三悪人
藤田水右衛門『霊験亀山鉾』
民谷伊右衛門『東海道四谷怪談』
薩摩源五兵衛『盟三五大切』

七 江戸の街角で
俠客を生きる――幡随長兵衛『御存鈴ヶ森』と『湯殿の長兵衛』
「時雨時雨て」江戸の街――河内山宗俊『天衣紛上野初花』「河内山」
「菊見がてらに秋の露」――佐野次郎左衛門『籠釣瓶花街酔醒』

八 人生の終わりに
「桜の林の大島台」――大判事清澄『妹背山婦女庭訓』「山の段」
人間の自由――幸崎伊賀守『新薄雪物語』「三人笑い」

あとがき

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初出メディア

東京新聞

東京新聞 :2023年9月1日 / 中日新聞:2023年9月2日

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