書評
『うんこ―ウゴウゴ文学大賞選集』(フジテレビ出版)
少年少女たちから寄せられた大量のうんこについて
さて、今回は番外編。「ウゴウゴ文学大賞」受賞作品に関する覚書である。というのも、幸か不幸かわたしはこの「ウゴウゴ文学大賞」に審査委員として参加しているからである。応募年齢を0歳~12歳と極限まで若くしたこと、ベースをテレビ番組においたこと、そして「お題」を設定したこと等々。わたしはこの「ウゴウゴ文学大賞」の出現を激動の20世紀末にふさわしい「文学」的大事件であると確信している。にも拘わらず、いわゆる「文壇」関係者から一顧だにされなかったことをきわめて遺憾に思うのである。過ちては改むるに憚ることなかれだから、これを機会に「文壇」のみなさんが前向きに検討されることを切にお願いして本日の挨拶に代えていてはいけないので、いよいよ本題に入っていこうと思うのである。
千数百編という大量のうんこ……じゃなくて作品が集まり、その中から晴れて選ばれたおよそ40の作品を前にして最終審査会が開かれたのは、ヤマニンゼファーが第108回の天皇賞を制した僅か2時間半後のことであった。
掲載された作品を読まれた読者の中には、銅賞の「ウンチ日記」の出来がいちばんいいんじゃないかねえと思った方も多いのではなかろうか。
実をいうと、得票という点に関しては熊谷圭祐くんのこの作品がトップだったのである。横溢するユーモア、おかあさんのキャラクターの描き方の鋭さ、志賀直哉真っ青の簡潔さ、どれをとってもお見事としか言いようがない。そのことを、うんこに関する詩の世界最高傑作を書かれた谷川俊太郎審査委員長、下ネタは嫌いだが小さい頃はうんこが柔らかかった糸井重里審査委員、うんこという物体に関する世界的権威である光岡知足審査委員、審査会の席上わたしもうんこをしますと衝撃の告白をされた荻野目洋子審査委員、ならびに便秘は脱したものの慢性気管支炎になってしまったわたくし高橋審査委員と、全審査委員が認めつつも、この作品はすぐれた文学ではあるが「うんこ」性に欠けるところがあるとの理由で銅賞にせざるをえなかったのである。
そこで浮上してきたのが、しまおかゆうすけくんの「うんこ」と片山けんたろうくんの「うんこの大ぼうけん」であった。
片山くんの作品の天衣無縫さは文部省すいせん的よいこの作文の域を超え、文学を超え、高いビルディングもひとっ飛びのすごさであった。わたしの長い読書経験を通してみても「うんこが、かっぱつになった」というような出だしではじまる作品を読んだことはない。これはもう天才と呼ぶべきであろう。それにも拘わらず、片山くんが銀賞に終わってしまったのは、片山くんの作品が支離滅裂のように見えながら実はきわめて美しい形式を備えているからであった。この厳密な形式性は果たして「うんこ」的なのか。文学にとって「うんこ」とは何か。審査委員たちの激しい議論の果てに、最後に栄冠を勝ちとったのがしまおかゆうすけくんの「うんこ」だったのである。
どうして、ゆうすけくんは家族全員のうんこの形状を知っているのか、それからおばあちゃんちとゆうすけくんちの距離はどのぐらいなのか、はたまたじいちゃんはいつもねてばかりいるのか、さまざまな謎を秘めつつ、うんこをリアルに描ききったこの作品の最大の魅力は真ん中の空白であろう。たぶん、左腕をそこに置いて書いたから白くなっちゃったんだろうね。これにはまいったよ、ほんと。
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