読書日記
メアリー・ローチ『死体はみんな生きている』(NHK出版)、遠藤秀紀『パンダの死体はよみがえる』(筑摩書房)、みうらじゅん『正しい保健体育』(文藝春秋)他
メアリー・ローチ『死体はみんな生きている』(殿村直子訳 NHK出版/二〇〇〇円)は、死体業界に体当たりで取材したリポート。
帯に書かれている賛辞をリミックスして引き写してみよう。
すさまじい本なのである。整形外科医の実習用の死体、腐敗研究用の死体、飛行機事故の死体、軍隊実験用の死体など、いろんな死体の活躍するさまは、ぼくの想像力など遥かに超えていて、ものすごい奇想小説を読んでいる気持ちになってくる。
本文も、リミックスしてお届けしよう。
ね、おもしろそうでしょ? 死体好き、「へぇ?」好き、驚愕好き、奇想好き、は読むが吉。
今回は、死体の本に凄いのがもう一冊。遠藤秀紀『パンダの死体はよみがえる』(ちくま新書/七〇〇円)は、動物の遺体を集めて、その謎を解き明かす熱い男の本だ。特に第一章、ゾウの死体との格闘のカッコよさに燃える。
「もしもし、ゾウが死にました。受領は可能ですか」
イエスと答え、クレーン付きの四トントラック二台で駆けつける。そこからは巨大なゾウの遺体との格闘だ。目的は、研究と解体。腐敗が進む中、丸二日間、血だらけで刃物を振るう。
まず胸を開く。刃物も普通のモノじゃない。自分の身長以上の巨大刃物を二人で持ち上げる。仲間が義手を「手鉤」に付け替えて、胸の肉を両側からひっぱる。刃を振り下ろし胸を開くと、大型冷蔵庫ほどの大きな心臓がゴロンと転がり落ちてくる。陸獣最大級の心筋の塊だ。まだドクンドクンと動いている。ってごめん。途中から嘘。気分がのってきて大法螺になってしまった。
けど、それぐらいドキドキのエピソード満載なのだ。ファンタジーファンなら、ゾウをドラゴンに置き換えて読むと興奮十六倍だ。
と断言するのは、みうらじゅん『正しい保健体育』(理論社/一二〇〇円 ALL REVIEWS事務局注:のち文春文庫)。ヤングのための保健体育本。だが、思春期妄想をいまだに抱えている大人たちのほうが、楽しめるだろう。
男は、「やりてーぜ」「入れてーぜ」の二大テーゼがあれば事足りる、と言い放ち、エロ本を買って読むのは義務教育を自分で補う「自分塾」であるとし「自分塾」の大切さを説く。オナニーは、「こんなことしていいの会」であり、自分と向き合う自分ミーティングである。年を取ると「だいたい」で大丈夫になるが、「だいたい」が許せないのが青春だ。
思春期のめくるめく妄想を育成するための名アドバイスが続出。いやぁ、この感覚は子供にはまだまだ判らないだろうなぁ? とニヤニヤしながら読むべし。
自分塾の裏側までさらけだした本も出た。森岡正博『感じない男』(ちくま新書/六八〇円)だ。「男はこうだ」「女はこうだ」とえらそーに書いてある本を読むと、おまえは人類の代表かよッ!とツッコミたくなる。そんな本がわんさか出ている中で、本書の「はじめに」に書いてある覚悟は素晴しい。
著者は、この本を〝「私はこうだ」という姿勢で〟書いたそうだ。〝学者がこんなことを書いていいのか〟と悩みながらも、〝学者こそがこういう試みをするべきではないのか〟と決意して、「私」を主語にした性についての本を書くというのだ。かっこいい!
第一章のミニスカート論、第二章の「男の不感症」論は、うんうんと共感しながら読んだ。が、制服、ロリコンなどについて論考する後半は、暴走していく。
「制服萌え」は、実は「学校萌え」で、学校に欲情し、射精したいのだと言いはじめる。何故、学校に欲情するかというと、そこは「洗脳」の場だからであり、制服少女を洗脳したいという欲望であり、制服少女の脳内に入って、少女の体を内側から生きたいという欲望なのだそうですよ。
まぁ、個人の性癖カミングアウトとして読むぶんには良いのだが、この著者は、あれだけえらそうに「私はこうだ」という姿勢で書くと宣言したにもかかわらず、途中から、いつの間にか、〝男たちから見れば、少女が制服を着て街を歩いているということは「私のことをあなたの好きなように洗脳してもいいのよ!」と公言しながら歩いているようなものなのである〟などと、主語が、「男たち」にすりかわってるのである。「私はこうだ」という話が、「男たちはこうだ」「ロリコンはこうだ」という論にすりかわり、この著者も、人類代表気取りの罠にはまってしまう。「男たち」がみんなこうだと思われてはたまらない。ぼくは学校に射精したくないからなー。でも、性癖カミングアウト本、奇想本としては最高に面白い。
今月の漫画。五十嵐大介『魔女』第二集(小学館/六二九円)が出ました。21世紀のマッドメン(諸星大二郎)の趣で、言葉を超える情景を描こうとする画とパワーに圧倒される傑作。
【この読書日記が収録されている書籍】
帯に書かれている賛辞をリミックスして引き写してみよう。
ローチの死体に対するアプローチは、まるでマイケル・ムーアのようで、不遜でウィットに富むと同時に深い視点と洞察を与えてくれる尊敬すべきユーモアあふれる面白い楽しい奇跡の仕事だ。
すさまじい本なのである。整形外科医の実習用の死体、腐敗研究用の死体、飛行機事故の死体、軍隊実験用の死体など、いろんな死体の活躍するさまは、ぼくの想像力など遥かに超えていて、ものすごい奇想小説を読んでいる気持ちになってくる。
本文も、リミックスしてお届けしよう。
「手のほうがだめ。切断された手は、持つと握り返してくるから」 四十枚のトレーに一つずつ、顔を上向きにして、小さなペット用食器のようなものに載せられている。肉眼解剖教室の慰霊祭だ。死者の名前はわからない。「だいじょうぶよ、だいじょうぶよ」と死体の腕を撫でていた。今ではもう、死体の頭をバケツに入れて持ち帰るような人はいません。世界中でただ一つの、人体の腐敗を研究する施設がある。細菌が発生させたガスは、唇と舌を膨張させるが、舌が膨張すると口からはみ出すこともある。綿の球を詰め、眼球が以前に形作っていたふっくらした形にする。衝突実験五十周年。全身はいらない。眼球がいくつかあればよい。切断された手、脚、肉のかけら、こうしたもののほうが、シャナハンには気楽だと言う。「そうなってしまえば、ただの組織ですから。その枠内だけで仕事を進めることができます」それはむごたらしいが、悲しくはない。「垂直式モルモット発射装置」を考案した。研究室に死体を持ち帰ると、すぐに手製の十字架に釘で打ち付けた。「回収・腹(肝/腎×二)」と*だ。
ね、おもしろそうでしょ? 死体好き、「へぇ?」好き、驚愕好き、奇想好き、は読むが吉。
今回は、死体の本に凄いのがもう一冊。遠藤秀紀『パンダの死体はよみがえる』(ちくま新書/七〇〇円)は、動物の遺体を集めて、その謎を解き明かす熱い男の本だ。特に第一章、ゾウの死体との格闘のカッコよさに燃える。
「もしもし、ゾウが死にました。受領は可能ですか」
イエスと答え、クレーン付きの四トントラック二台で駆けつける。そこからは巨大なゾウの遺体との格闘だ。目的は、研究と解体。腐敗が進む中、丸二日間、血だらけで刃物を振るう。
まず胸を開く。刃物も普通のモノじゃない。自分の身長以上の巨大刃物を二人で持ち上げる。仲間が義手を「手鉤」に付け替えて、胸の肉を両側からひっぱる。刃を振り下ろし胸を開くと、大型冷蔵庫ほどの大きな心臓がゴロンと転がり落ちてくる。陸獣最大級の心筋の塊だ。まだドクンドクンと動いている。ってごめん。途中から嘘。気分がのってきて大法螺になってしまった。
けど、それぐらいドキドキのエピソード満載なのだ。ファンタジーファンなら、ゾウをドラゴンに置き換えて読むと興奮十六倍だ。
金玉というのが本体で、その着ぐるみの中に全部入っているのが、人間の男なのです
と断言するのは、みうらじゅん『正しい保健体育』(理論社/一二〇〇円 ALL REVIEWS事務局注:のち文春文庫)。ヤングのための保健体育本。だが、思春期妄想をいまだに抱えている大人たちのほうが、楽しめるだろう。
男は、「やりてーぜ」「入れてーぜ」の二大テーゼがあれば事足りる、と言い放ち、エロ本を買って読むのは義務教育を自分で補う「自分塾」であるとし「自分塾」の大切さを説く。オナニーは、「こんなことしていいの会」であり、自分と向き合う自分ミーティングである。年を取ると「だいたい」で大丈夫になるが、「だいたい」が許せないのが青春だ。
思春期のめくるめく妄想を育成するための名アドバイスが続出。いやぁ、この感覚は子供にはまだまだ判らないだろうなぁ? とニヤニヤしながら読むべし。
自分塾の裏側までさらけだした本も出た。森岡正博『感じない男』(ちくま新書/六八〇円)だ。「男はこうだ」「女はこうだ」とえらそーに書いてある本を読むと、おまえは人類の代表かよッ!とツッコミたくなる。そんな本がわんさか出ている中で、本書の「はじめに」に書いてある覚悟は素晴しい。
著者は、この本を〝「私はこうだ」という姿勢で〟書いたそうだ。〝学者がこんなことを書いていいのか〟と悩みながらも、〝学者こそがこういう試みをするべきではないのか〟と決意して、「私」を主語にした性についての本を書くというのだ。かっこいい!
第一章のミニスカート論、第二章の「男の不感症」論は、うんうんと共感しながら読んだ。が、制服、ロリコンなどについて論考する後半は、暴走していく。
「制服萌え」は、実は「学校萌え」で、学校に欲情し、射精したいのだと言いはじめる。何故、学校に欲情するかというと、そこは「洗脳」の場だからであり、制服少女を洗脳したいという欲望であり、制服少女の脳内に入って、少女の体を内側から生きたいという欲望なのだそうですよ。
まぁ、個人の性癖カミングアウトとして読むぶんには良いのだが、この著者は、あれだけえらそうに「私はこうだ」という姿勢で書くと宣言したにもかかわらず、途中から、いつの間にか、〝男たちから見れば、少女が制服を着て街を歩いているということは「私のことをあなたの好きなように洗脳してもいいのよ!」と公言しながら歩いているようなものなのである〟などと、主語が、「男たち」にすりかわってるのである。「私はこうだ」という話が、「男たちはこうだ」「ロリコンはこうだ」という論にすりかわり、この著者も、人類代表気取りの罠にはまってしまう。「男たち」がみんなこうだと思われてはたまらない。ぼくは学校に射精したくないからなー。でも、性癖カミングアウト本、奇想本としては最高に面白い。
今月の漫画。五十嵐大介『魔女』第二集(小学館/六二九円)が出ました。21世紀のマッドメン(諸星大二郎)の趣で、言葉を超える情景を描こうとする画とパワーに圧倒される傑作。
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