書評
『白い紙/サラム』(文藝春秋)
イラン・イラク戦争の最中、一人の少女が両親とともにテヘランから、人口二万人にも満たない国境の町に引っ越してきた。戦争医師の父親が最前線に近い病院に転勤したからだ。地元の高校で勉強しているうちに、ハサンという同級生と恋するようになった。ハサンは成績が抜群で、将来医者になるのが夢である。だが、不意の出来事は彼の運命を大きく変えた。
日本語で書かれた小説だが、登場人物はもちろん、描かれた内容も、作品の背景もすべてイランのものだ。だが、翻訳小説と違って、書き手は日本に在住し、作品は日本人読者のために書かれたものである。
新鮮な印象を受けたのは、たんに未知の国のことを書いたからではない、世俗的時間と聖なる時間のずれと、そのずれによって引き裂かれた人々の生が独特の視点から描き出されているからだ。
いくら厳格なイスラム国家とはいえ、イランの人々が生きているのは二十一世紀の世界である。辺鄙な田舎町でも、時折外の風が吹き込んでくる。ハサンが医者を目指して猛勉強したのも、少女がテヘランの生活に憧れているのもそのためだ。ハサンの先生が教え子の出世を切望しているのも同じ理由からである、
だが、先生が「皆さんは一枚の白い紙のようだ。自分の将来を自由に描けるのだ」と口を酸っぱくして説教しても、ほとんどの生徒にとって白い紙に絵を描くのは神の領分である。ハサンでさえ最後に自分の運命を神の手に委ねた。魂が肉体を凌駕する世界では、身体に対する制約は果たして精神の桎梏(しっこく)なのか。この根本的な問いは恋愛と家族の絆のドラマの奥底に深く隠されているような気がした。
複数の話題を一つの作品に盛り込ませる手法は鮮やかである。宗教戒律と人間感情との衝突、国際紛争の不条理、戦争の悲惨さ、未成年の戦争動員。そうした重い問題を真正面から描くのではなく、少女の初々しい恋物語のなかに器用に織り込まれている。
おそらくイランでは誰も書かなかった小説であろう。何しろ、男子学生と女子学生が言葉を交わすことさえ禁じられた土地の話だ。厳しい戒律を破り、危険を冒してまで好きな人と逢い引きする。このような少年少女の恋心を描く小説は、ペルシャ語ではおそらく書けないし、書いたとしても発表する場はないであろう。もし日本との出会いがなければ、生まれてこない作品だ。
「白い紙」に比べて、「サラム」のほうは内容が相対的に身近だ。アフガン内戦のときに、レイラという少女が日本在住の「おじさん」を訪ねて来た。父親がハザラの司令官であるため家族が迫害を受け、母親はタリバンに殺害された。父親は部下をつれてパキスタンに逃れ、一家がばらばらになった、レイラは日本で難民申請を試みたが、彼女を待っているのは思いも寄らない結末だ。
レイラの悲しい運命を描きながら、アフガン問題の複雑さ、長年の内戦がもたらした民衆の苦難などを浮き彫りにした。田中弁護士という副次的な人物でさえ生き生きとして、感動的である。
この新人作家は非母語でも巧みに操る才能に恵まれているようだ。随所にちりばめられている機知に富んだ比喩も笑いを誘うが、作品名にはさまざまな意味が込められている。読み終わって、再び「白い紙」や「サラム」といった言葉を見ると、なぜか切なくなった。
【この書評が収録されている書籍】
日本語で書かれた小説だが、登場人物はもちろん、描かれた内容も、作品の背景もすべてイランのものだ。だが、翻訳小説と違って、書き手は日本に在住し、作品は日本人読者のために書かれたものである。
新鮮な印象を受けたのは、たんに未知の国のことを書いたからではない、世俗的時間と聖なる時間のずれと、そのずれによって引き裂かれた人々の生が独特の視点から描き出されているからだ。
いくら厳格なイスラム国家とはいえ、イランの人々が生きているのは二十一世紀の世界である。辺鄙な田舎町でも、時折外の風が吹き込んでくる。ハサンが医者を目指して猛勉強したのも、少女がテヘランの生活に憧れているのもそのためだ。ハサンの先生が教え子の出世を切望しているのも同じ理由からである、
だが、先生が「皆さんは一枚の白い紙のようだ。自分の将来を自由に描けるのだ」と口を酸っぱくして説教しても、ほとんどの生徒にとって白い紙に絵を描くのは神の領分である。ハサンでさえ最後に自分の運命を神の手に委ねた。魂が肉体を凌駕する世界では、身体に対する制約は果たして精神の桎梏(しっこく)なのか。この根本的な問いは恋愛と家族の絆のドラマの奥底に深く隠されているような気がした。
複数の話題を一つの作品に盛り込ませる手法は鮮やかである。宗教戒律と人間感情との衝突、国際紛争の不条理、戦争の悲惨さ、未成年の戦争動員。そうした重い問題を真正面から描くのではなく、少女の初々しい恋物語のなかに器用に織り込まれている。
おそらくイランでは誰も書かなかった小説であろう。何しろ、男子学生と女子学生が言葉を交わすことさえ禁じられた土地の話だ。厳しい戒律を破り、危険を冒してまで好きな人と逢い引きする。このような少年少女の恋心を描く小説は、ペルシャ語ではおそらく書けないし、書いたとしても発表する場はないであろう。もし日本との出会いがなければ、生まれてこない作品だ。
「白い紙」に比べて、「サラム」のほうは内容が相対的に身近だ。アフガン内戦のときに、レイラという少女が日本在住の「おじさん」を訪ねて来た。父親がハザラの司令官であるため家族が迫害を受け、母親はタリバンに殺害された。父親は部下をつれてパキスタンに逃れ、一家がばらばらになった、レイラは日本で難民申請を試みたが、彼女を待っているのは思いも寄らない結末だ。
レイラの悲しい運命を描きながら、アフガン問題の複雑さ、長年の内戦がもたらした民衆の苦難などを浮き彫りにした。田中弁護士という副次的な人物でさえ生き生きとして、感動的である。
この新人作家は非母語でも巧みに操る才能に恵まれているようだ。随所にちりばめられている機知に富んだ比喩も笑いを誘うが、作品名にはさまざまな意味が込められている。読み終わって、再び「白い紙」や「サラム」といった言葉を見ると、なぜか切なくなった。
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