書評
『都市開発を考える―アメリカと日本』(岩波書店)
東京の山手線の上野ー御徒町間の混雑率は二七四パーセント、四畳半にじつに七十二人が立っている勘定だ。都心のある開業医には〈痛勤〉で肋骨を折ったり、ひびの入った会社員が一月十人も来るようになったという。外国ならとっくに暴動が起こってますよ、と笑いながら、みんな今日もおとなしく電車に乗る。
通勤、渋滞、ゴミ、住宅、水、すべてがもう限界だ、という情況論はあちこちで書かれ、話されている。本書は都の現場のプランナーと、アメリカの大学で教え、かつ実務経験をもつ都市計画家が、〈解釈〉から一歩進んで具体的な〈処方〉を明確に述べたところが新しい。
現在の日本では、あいも変わらず、混雑緩和のためには複々線化、新線建設。渋滞には道路建設。駐車場不足には地下や立体駐車場建設。オフィス不足といえばビル建設。それが主流だ。
著者らは、建設による経済効果も否定はしないが、開発利益とコストを徹底的に分析すること、経済的魅力をもつ都市であるほど、しっかりした都市計画、成長管理政策を作ることが必要だという。
それをサンフランシスコのミッション・ベイの開発で検討する。当初、ここは有名な建築家による四十二階超高層オフィスを含む〈高密度ビジネス都市〉になるはずだったが、住民によってこのプランは否決された。そして徹底的な住民参加による〈人間のための中低層のコミュニティ開発〉に変わった。デベロッパー側は二百万ドルを市に提供し、市の都市計画局はこの資金で民間のコンサルタントを雇い、住民参加で計画を作成、すべての開発プロセスは公開された。その結果、四十二階は最高八階になり、平均所得層がだれでも入れる「アフォーダブル住宅」はゼロから三千戸に増えた。開発費は半分に減った。東京の小さな町のありようにかかわる私には夢みたいな話とは思えない。こんなことができたらな、と励まされる。
サンフランシスコの住民に教えられることは多い。開発地に入るのが中小企業なら地元民を雇用するので就職口も増え、人口増、交通量の増、住宅不足を引き起こさず成長が持続可能である。民族、人種、年齢構成、職種の多様性は欠点でなく都市の長所である。街角の安いパン屋や気取らないカフェなど、人間くさい日常生活の小道具的空間が大切だ。健全な判断といえよう。
次の章では「わが国の都市づくりをめぐる四つの誤解」が子細に検討される。誤解とは、①都市開発はどんなものでも繁栄をもたらし住民の利益となる。②民間活力の活用が大事である。③土地の有効・高度利用は促進すべきである。④開発を規制するとロンドンのようにインナーシティーが衰退する――の四つである。これはほとんど「アメリカでは」の開発論者の〈ではの守〉が持ちこんでセットで流行らせたものだが、これを遂一、公民パートナーシップ、ライトダウン、TDRなどアメリカの制度の実際で論破していく過程はスリリングだ。たとえば日本の〈二十四時間都市〉は「二十四時間働き活動する都市」を指すが、アメリカでは「夜も人が住める都市」 というのには笑ってしまった。「民活」にしても「誰のために、何のために」が大切なのだ。私企業の利益ではなく「公共的価値を実現する都市計画に何が必要か」の項も、うむをいわさぬ説得力がある。
著者たちの論は現在の多くの行政や企業の主流とは対立するが、イデオロギッシュでもセンチメンタルでもない。「都市の生活の質を高めることが長期的発展を保障する」というクールで現実的なものである。「生活大国」(大はイヤだけど)をめざすなら、まずは論議すべき格好の素材だろう。
【この書評が収録されている書籍】
通勤、渋滞、ゴミ、住宅、水、すべてがもう限界だ、という情況論はあちこちで書かれ、話されている。本書は都の現場のプランナーと、アメリカの大学で教え、かつ実務経験をもつ都市計画家が、〈解釈〉から一歩進んで具体的な〈処方〉を明確に述べたところが新しい。
現在の日本では、あいも変わらず、混雑緩和のためには複々線化、新線建設。渋滞には道路建設。駐車場不足には地下や立体駐車場建設。オフィス不足といえばビル建設。それが主流だ。
著者らは、建設による経済効果も否定はしないが、開発利益とコストを徹底的に分析すること、経済的魅力をもつ都市であるほど、しっかりした都市計画、成長管理政策を作ることが必要だという。
それをサンフランシスコのミッション・ベイの開発で検討する。当初、ここは有名な建築家による四十二階超高層オフィスを含む〈高密度ビジネス都市〉になるはずだったが、住民によってこのプランは否決された。そして徹底的な住民参加による〈人間のための中低層のコミュニティ開発〉に変わった。デベロッパー側は二百万ドルを市に提供し、市の都市計画局はこの資金で民間のコンサルタントを雇い、住民参加で計画を作成、すべての開発プロセスは公開された。その結果、四十二階は最高八階になり、平均所得層がだれでも入れる「アフォーダブル住宅」はゼロから三千戸に増えた。開発費は半分に減った。東京の小さな町のありようにかかわる私には夢みたいな話とは思えない。こんなことができたらな、と励まされる。
サンフランシスコの住民に教えられることは多い。開発地に入るのが中小企業なら地元民を雇用するので就職口も増え、人口増、交通量の増、住宅不足を引き起こさず成長が持続可能である。民族、人種、年齢構成、職種の多様性は欠点でなく都市の長所である。街角の安いパン屋や気取らないカフェなど、人間くさい日常生活の小道具的空間が大切だ。健全な判断といえよう。
次の章では「わが国の都市づくりをめぐる四つの誤解」が子細に検討される。誤解とは、①都市開発はどんなものでも繁栄をもたらし住民の利益となる。②民間活力の活用が大事である。③土地の有効・高度利用は促進すべきである。④開発を規制するとロンドンのようにインナーシティーが衰退する――の四つである。これはほとんど「アメリカでは」の開発論者の〈ではの守〉が持ちこんでセットで流行らせたものだが、これを遂一、公民パートナーシップ、ライトダウン、TDRなどアメリカの制度の実際で論破していく過程はスリリングだ。たとえば日本の〈二十四時間都市〉は「二十四時間働き活動する都市」を指すが、アメリカでは「夜も人が住める都市」 というのには笑ってしまった。「民活」にしても「誰のために、何のために」が大切なのだ。私企業の利益ではなく「公共的価値を実現する都市計画に何が必要か」の項も、うむをいわさぬ説得力がある。
著者たちの論は現在の多くの行政や企業の主流とは対立するが、イデオロギッシュでもセンチメンタルでもない。「都市の生活の質を高めることが長期的発展を保障する」というクールで現実的なものである。「生活大国」(大はイヤだけど)をめざすなら、まずは論議すべき格好の素材だろう。
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