書評
『日本の近代建築〈上 幕末・明治篇〉』(岩波書店)
歴史家にとって最高の快楽とはなんだろう。それは、散在する点をつなぐ線を見いだして「命名」を行い、定説を根底から覆す新説を打ちだすことだ。本書はこれまで個々の洋館の現場検証にいそしんできた建築探偵=藤森照信が、パイオニアの特権である「命名権」を行使して、西洋建築の日本伝播(でんぱ)という文明史の根本的意味を問うた画期的な日本近代建築史である。
まず著者は、ヨーロッパから地球を東にまわって、長崎に登場した最初の西洋館(グラバー邸)のタイプを熱帯アジアの植民者が暑さよけに設けた柱つきヴェランダに注目して「ヴェランダ・コロニアル」と命名する。
一方、ヨーロッパから地球を西にまわってアメリカの開拓顧問団とともに北海道に上陸した開拓小屋スタイルの洋館は水平の板張りにちなんで「下見板コロニアル」と名付けられる。このルートでは木造の骨組みに石を積んだ「木骨石造」という建築法も伝来する。
ところで東西どちらのルートによるタイプも日本より先の地には伝わってはいない。これは大航海時代に始まった西洋建築の伝播が東西二手に別れて二様のコロニアル・スタイルへと変化し、十九世紀半ば、最遠の地日本にたどりついて四百年に及ぶ長旅を終えたことを意味する。ようするに、日本は西洋建築のガラパゴス諸島だったのである。「そしてヨーロッパ建築の地球大旅行が終えたところから日本の西洋館の歴史がはじまる」。巧みな建築「進化論」のプロローグである。
「進化」は、幕末の居留地に現れた渡り鳥的な外人技術者ブリッジェンスが、石壁の代わりに瓦(かわら)と漆喰(しっくい)による「ナマコ壁」という日本在来の左官技術を採用したことに始まり、ついで好奇心あふれる日本の大工棟梁(とうりょう)たちが見よう見真似でコロニアル建築を再現した「擬洋風」によって加速される。清水喜助が木骨石造に日本屋根をおいて作った第一国立銀行、銭湯のような唐破風の車寄せの上にエンジェルが舞う松本の開智学校などがその傑作である。
もちろん、こうした「擬洋風」と並行して、お雇い外人による洋風建築も、各地に建てられる。その代表例はアイルランド人ウォートルスによる銀座レンガ街である。彼は測量、土木、建築のすべてをこなす冒険技術者で、ロンドンの通りに似せて銀座の街をひとりで造営してしまったが、やがて明治の指導者が本格的西洋建築を目指すようになるとお払い箱になる。
代わりにやってきたのはイギリスの新進建築家コンドルである。彼は建築家として「鹿鳴館」を初めとする明治の代表的建築の多くを手掛けたが、教育家としても優れ、日本の学生たちに建築とは「美」であり、その様式にはギリシャに始まるクラシック系と中世の教会に由来するゴシック系があることを教えた。
こうしてコンドルの下からは、辰野金吾を初めとする優秀な弟子たちが育っていく。その後、日本の近代建築は、和風建築の見直しや、アール・ヌーヴォー、アメリカン・ボザールなど欧米の新思想の導入を経て、幾何学的なモダンデザインの台頭へと至る。
著者は個々の建築家と建物という「点」を流派などの「線」へと収斂(しゅうれん)させることに主眼を置きつつも、一方で、個々の建物から建築家の内面にまで踏み込んで、そこから人と時代の思想を取り出そうと試みている。
日本の西洋建築史が立派な思想史になり得ることを示した快作である。
【この書評が収録されている書籍】
まず著者は、ヨーロッパから地球を東にまわって、長崎に登場した最初の西洋館(グラバー邸)のタイプを熱帯アジアの植民者が暑さよけに設けた柱つきヴェランダに注目して「ヴェランダ・コロニアル」と命名する。
一方、ヨーロッパから地球を西にまわってアメリカの開拓顧問団とともに北海道に上陸した開拓小屋スタイルの洋館は水平の板張りにちなんで「下見板コロニアル」と名付けられる。このルートでは木造の骨組みに石を積んだ「木骨石造」という建築法も伝来する。
ところで東西どちらのルートによるタイプも日本より先の地には伝わってはいない。これは大航海時代に始まった西洋建築の伝播が東西二手に別れて二様のコロニアル・スタイルへと変化し、十九世紀半ば、最遠の地日本にたどりついて四百年に及ぶ長旅を終えたことを意味する。ようするに、日本は西洋建築のガラパゴス諸島だったのである。「そしてヨーロッパ建築の地球大旅行が終えたところから日本の西洋館の歴史がはじまる」。巧みな建築「進化論」のプロローグである。
「進化」は、幕末の居留地に現れた渡り鳥的な外人技術者ブリッジェンスが、石壁の代わりに瓦(かわら)と漆喰(しっくい)による「ナマコ壁」という日本在来の左官技術を採用したことに始まり、ついで好奇心あふれる日本の大工棟梁(とうりょう)たちが見よう見真似でコロニアル建築を再現した「擬洋風」によって加速される。清水喜助が木骨石造に日本屋根をおいて作った第一国立銀行、銭湯のような唐破風の車寄せの上にエンジェルが舞う松本の開智学校などがその傑作である。
もちろん、こうした「擬洋風」と並行して、お雇い外人による洋風建築も、各地に建てられる。その代表例はアイルランド人ウォートルスによる銀座レンガ街である。彼は測量、土木、建築のすべてをこなす冒険技術者で、ロンドンの通りに似せて銀座の街をひとりで造営してしまったが、やがて明治の指導者が本格的西洋建築を目指すようになるとお払い箱になる。
代わりにやってきたのはイギリスの新進建築家コンドルである。彼は建築家として「鹿鳴館」を初めとする明治の代表的建築の多くを手掛けたが、教育家としても優れ、日本の学生たちに建築とは「美」であり、その様式にはギリシャに始まるクラシック系と中世の教会に由来するゴシック系があることを教えた。
こうしてコンドルの下からは、辰野金吾を初めとする優秀な弟子たちが育っていく。その後、日本の近代建築は、和風建築の見直しや、アール・ヌーヴォー、アメリカン・ボザールなど欧米の新思想の導入を経て、幾何学的なモダンデザインの台頭へと至る。
著者は個々の建築家と建物という「点」を流派などの「線」へと収斂(しゅうれん)させることに主眼を置きつつも、一方で、個々の建物から建築家の内面にまで踏み込んで、そこから人と時代の思想を取り出そうと試みている。
日本の西洋建築史が立派な思想史になり得ることを示した快作である。
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