書評
『死の盗聴』(河出書房新社)
河出書房新社は昨年、アメリカン・ハードボイルド・シリーズと銘打って、大部分が未訳のハードボイルド探偵小説全十巻を、逐次翻訳刊行し始めた。本書はその第九回目の配本に当たる、古き良き時代の私立探偵小説である。
このシリーズは、ダシール・ハメットの『マルタの鷹』とレイモンド・チャンドラーの『ベイ・シティ・ブルース』を除いては、今まで翻訳されたことのない作品で構成されている。必ずしも傑作揃いというわけにはいかないが、この分野の研究評論にかけては第一人者の、小鷹信光が編者を務めているだけに、それぞれ特色のある作品が集められていて、非常に楽しめる。
エド・レイシイは一九五七年度に『ゆがめられた昨日』で、エドガー賞(アメリカ推理作家協会最優秀長編賞)を取った実力派である。私立探偵小説でこの賞を取ったのは、ほかにチャンドラーとロバート・B・パーカーだけだから、本来ならばもっと訳されていい作家なのだが、もう一つわが国では評価が低い。このひとの『さらばその歩むところに心せよ』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)などは、悪徳警官ものとして常にベスト5にはいる傑作である。 レイシイの作品の特徴は、主人公が必ずといっていいほどなんらかのハンディ、十字架を負わされていることだろう。『ゆがめられた昨日』では黒人の私立探偵、『リングで殺せ』では落ち目になったボクサー、そして本書では、心臓病とインポテンツに悩む私立探偵が主人公である。
心臓病から回復したばかりのビル・ウォレスは、妻ヴィルマや友人の助けで私立探偵の仕事を再開するが、ひょんなことから殺人事件に巻き込まれ、窮地に陥っていく。ウォレスは心臓発作に病的な恐怖を抱いており、ごろつきにからまれても、かつてのように立ち向かう勇気が出ない。しかも家では、妻を愛しているのに心臓が気になり、心因性インポテンツにかかっている。
このように、ただ腕っぷしが強いだけのハードボイルド・ヒーローではなく、屈折した主人公像を描き出すところに、レイシイの持ち味がある。こうした状況設定は、その後のネオ・ハードボイルド小説にいろいろな形で引き継がれており(肺ガン恐怖症、ホモなど)、その意味ではレイシイはネオ・ハードボイルドの先駆者と見ることもできよう。
このシリーズには、各巻に懇切丁寧な解説と「ハードボイルド雑学事典」がついていて、それが独立した資料として他に類のない価値を持っている。そのためだけに買っても損をしないくらいである。久びさのヒット企画であり、第二期シリーズの刊行が期待される。
【この書評が収録されている書籍】
このシリーズは、ダシール・ハメットの『マルタの鷹』とレイモンド・チャンドラーの『ベイ・シティ・ブルース』を除いては、今まで翻訳されたことのない作品で構成されている。必ずしも傑作揃いというわけにはいかないが、この分野の研究評論にかけては第一人者の、小鷹信光が編者を務めているだけに、それぞれ特色のある作品が集められていて、非常に楽しめる。
エド・レイシイは一九五七年度に『ゆがめられた昨日』で、エドガー賞(アメリカ推理作家協会最優秀長編賞)を取った実力派である。私立探偵小説でこの賞を取ったのは、ほかにチャンドラーとロバート・B・パーカーだけだから、本来ならばもっと訳されていい作家なのだが、もう一つわが国では評価が低い。このひとの『さらばその歩むところに心せよ』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)などは、悪徳警官ものとして常にベスト5にはいる傑作である。 レイシイの作品の特徴は、主人公が必ずといっていいほどなんらかのハンディ、十字架を負わされていることだろう。『ゆがめられた昨日』では黒人の私立探偵、『リングで殺せ』では落ち目になったボクサー、そして本書では、心臓病とインポテンツに悩む私立探偵が主人公である。
心臓病から回復したばかりのビル・ウォレスは、妻ヴィルマや友人の助けで私立探偵の仕事を再開するが、ひょんなことから殺人事件に巻き込まれ、窮地に陥っていく。ウォレスは心臓発作に病的な恐怖を抱いており、ごろつきにからまれても、かつてのように立ち向かう勇気が出ない。しかも家では、妻を愛しているのに心臓が気になり、心因性インポテンツにかかっている。
このように、ただ腕っぷしが強いだけのハードボイルド・ヒーローではなく、屈折した主人公像を描き出すところに、レイシイの持ち味がある。こうした状況設定は、その後のネオ・ハードボイルド小説にいろいろな形で引き継がれており(肺ガン恐怖症、ホモなど)、その意味ではレイシイはネオ・ハードボイルドの先駆者と見ることもできよう。
このシリーズには、各巻に懇切丁寧な解説と「ハードボイルド雑学事典」がついていて、それが独立した資料として他に類のない価値を持っている。そのためだけに買っても損をしないくらいである。久びさのヒット企画であり、第二期シリーズの刊行が期待される。
【この書評が収録されている書籍】
週刊東洋経済 1985年8月31日
1895(明治28)年創刊の総合経済誌
マクロ経済、企業・産業物から、医療・介護・教育など身近な分野まで超深掘り。複雑な現代社会の構造を見える化し、日本経済の舵取りを担う方の判断材料を提供します。40ページ超の特集をメインに著名執筆陣による固定欄、ニュース、企業リポートなど役立つ情報が満載です。
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