書評
『父の国の母たち―女を軸にナチズムを読む』(時事通信社)
ナチズムになぜ女性も絡めとられたか
東西ドイツの統一をひかえて(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1990年)、世界の眼はドイツに注がれているが、強いドイツですぐに思い出されるのが、ヒトラーであり、ビスマルクであろう。しばしば「ヒトラーのような人物」という表現も使われたりする。あるいはナチズムのような規律と軍隊、時には愛と幻想。社会に混乱と退廃が続くと、救世主のごとく現れ、混沌を整えてくれる存在に、多くの人は魅かれる。
「世界一進んだ憲法」といわれたワイマール憲法のもと、しだいに勢力を伸ばしたナチス党のヒトラーは、諸政党の乱立と混乱、大恐慌のなかで、大統領ヒンデンブルクから内閣の組織を命ぜられた。一九三三年のことである。
ナチスはそのころ、党内の混乱、政策の無さもあって、党勢は低下していた。しかしこの組閣を契機にして、あれよ、あれよ、という間に独裁政治を開始すると、ナチス党を軽蔑していた諸勢力が雪崩を打って迎合してゆく。
この付近のことは、これまでの政治史や歴史研究が詳しく伝えてきたところである。普通の市民生活をしてきた人々がどうして簡単にナチズムを許し、迎え入れたのか、という視点から。
しかし本書はもう一つ、女性という視点からこれを読み取ろうとする。ナチズムは人種と性について差別政策をもっていた。アーリア人と「ユダヤ人」との間、そして男と女との間に。
女は「二流の性」として男に奉仕するものとして扱われた。出産機械と見なされたのである。だから女性はナチズムの被害者である筈だ。だが著者のクーンズがインタビューしたナチの女性指導者ゲルトルート・ショルツ・クリンクは違った。
「ドイツの女性がわが総統をどんなに深く愛していたかがわかったでしょう」
というではないか。
思い出されるのは、「ヒトラーを発見し、選び、崇拝したのは女性である」という西ドイツのジャーナリストのコメントであり、「ドイツ史上あれほど多くの女性が一つの政党に流れ込んだことはない」という指摘である。
ここに「女を軸にナチズムを読む」ことの重要性をクーンズは確信した。ポイントは少数勢力であったナチス運動に女性たちはなにを求めていたのか、体制を握ったナチスに女性はどんな動きを示し、何を求めたか、にある。
それを解くのに「女の領域」という論点を提出したのが、本書の説得力を高めたばかりでなく、今後の研究に大きな貢献をなしたものといえよう。
ワイマール憲法で突然に与えられた自由と解放、しかし民主主義の根づいていないドイツでは、混乱が続いた。風俗の退廃、出現した「新しい女性」への反発から、女の領域を探って、「解放」から解放される運動が始まった。それがナチスの「闘う共同体」の運動に収斂(しゅうれん)していったのである。
とはいえ、初期のナチス運動は、女性を無視したうえに、特別な女性政策を持ち合わせていなかった。だがそれが故に、運動に関わった女性はかえって自由に活動する基盤を持ち得たのであり、女性に関する理念を育てることができた、女の領域を独自につくりあげることができた、というのである。
ナチスが政権をとると、こうした女性活動家は独自の理念、活動集団をもっているがために切られていく。代わりにナチスの母性礼讃に誘われて、ナショナリスティックな女性団体が、国家による母性や家族の復権を期待して、ナチ化を受け入れてゆく。
徹底した女性差別、女性蔑視のナチス運動に、女性が絡めとられ、そのうえに歯車とされてゆく過程を、明晰な分析力で説き明かした本書の価値は、単にドイッのナチズム研究のみならず、日本の女性運動の研究にも一つの方向を示すものとして、貴重である。
これをなしとげるまでには、隠された資料を探し、丹念に分析するのはもちろんだが、さらに冷静にして、あくなきまでの人間への愛情・情熱を絶やさず持ち続けなければならなかったろう。
「過去と呼ばれるものが消滅することはない」
という、クリスタ・ウォルフの詩を引用した著者のメッセージが胸に響く本である。
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