書評
『羞恥の歴史―人はなぜ性器を隠すか』(筑摩書房)
女性嫌いで知られた萩原朔太郎は「女が裸体を羞恥(しゅうち)するのは、性の隠蔽(いんぺい)のためではなく、世の習俗に外れることを恥じるのである」と言ったが、羞恥の歴史をフランス中心に扱った本書を読むと、朔太郎の言葉を女性に限定する必要はまったくないことがわかる。すなわち羞恥とは、男女の別なく、時代の習俗によって規定された相対的なものにすぎないことを否応なしに納得させられるからである。
たとえば中世から十九世紀まで、時代により道徳からの反撃はあったものの、フランスの羞恥は女性の上半身の露出にはきわめて寛大で、乳房をすべて露出する型の服がしばしば流行したが、女性は決してこれに逆らえなかった。反対に、女性がスカートから脚を露出させることは二十世紀前半までは絶対にあってはならないこととされていた。いっぽう男性の方では、十五世紀から百年間、性器を誇張する股(また)袋が流行し、これをつけないことは非礼とされたこともある。この股袋は現代のウエスト・ポーチと同じように、小物入れとして機能していた。
また、中世からルネッサンスにかけては、王侯から民衆までベッドは一家にひとつしかなく、家族はおろか客人までがその唯一のベッドに寝た。しかも裸で。「寝室を共にするというのは一つの制度であった。それを拒否することは重大な侮辱となったであろう」
逆に十八世紀になると夫婦の間でも裸でベッドで寝ることへの極端な羞恥が生まれ、必要な所に穴のあいた「夫婦用寝間着」がつくり出される。修道院や寄宿学校では、自分の裸を見ないで服を着替える方法が教えられた。
だが、あらゆる例のなかで一番興味深いのは、フランスの羞恥は身分の差によって生まれるという指摘である。すなわち、身分の高いものは目下の者にはなんの羞恥も感じないでよかった。とりわけ、もっとも身分の高い国王は、羞恥というものを一切感じないものとされていた。国王は、「穴あき椅子(いす)」と呼ばれたトイレに座ったまま政務を執り、面会を行った。貴婦人は、浴槽に入ったまま、朝のお目通りを行った。
もちろん相手が男性でもである。これは目下の人間は動物と同じという発想があったためである。そこから一つの不思議な儀式が生まれる。朝起きて着替えをするときには、必ず目下のものが下着を差し出すという習慣を利用して、わざと裸になって相手に下着を差し出させ、彼我の身分差を見せつけるというものである。
このように国王一家はだれに対しても羞恥を感ずる必要がなかったから、その生活は食事から排泄(はいせつ)行為、さらには出産まですべてが公開で、宮殿に行けば、どんな庶民でも、国王一家の私生活を見学することができた。オーストリアの宮廷から嫁いだマリ・アントワネットはこの習慣になれることができなかったため民衆の憎悪を買い、その結果、彼女が出産するときには群衆が大挙して押し寄せた。「あのオーストリア女に公開の晩餐(ばんさん)を拒否したりするとどうなるか思いしらせてやる」と。マリ・アントワネットは最後の力をふりしぼって王子を出産すると失神した。
羞恥の発生を、歴史的に理論づけようとしている箇所もあるが、その部分にあまりこだわる必要はない。右(ALL REVIEWS事務局注:右→上)の例を見ただけでも羞恥が相対的なことはだれにでもわかるのだから。
【この書評が収録されている書籍】
たとえば中世から十九世紀まで、時代により道徳からの反撃はあったものの、フランスの羞恥は女性の上半身の露出にはきわめて寛大で、乳房をすべて露出する型の服がしばしば流行したが、女性は決してこれに逆らえなかった。反対に、女性がスカートから脚を露出させることは二十世紀前半までは絶対にあってはならないこととされていた。いっぽう男性の方では、十五世紀から百年間、性器を誇張する股(また)袋が流行し、これをつけないことは非礼とされたこともある。この股袋は現代のウエスト・ポーチと同じように、小物入れとして機能していた。
また、中世からルネッサンスにかけては、王侯から民衆までベッドは一家にひとつしかなく、家族はおろか客人までがその唯一のベッドに寝た。しかも裸で。「寝室を共にするというのは一つの制度であった。それを拒否することは重大な侮辱となったであろう」
逆に十八世紀になると夫婦の間でも裸でベッドで寝ることへの極端な羞恥が生まれ、必要な所に穴のあいた「夫婦用寝間着」がつくり出される。修道院や寄宿学校では、自分の裸を見ないで服を着替える方法が教えられた。
だが、あらゆる例のなかで一番興味深いのは、フランスの羞恥は身分の差によって生まれるという指摘である。すなわち、身分の高いものは目下の者にはなんの羞恥も感じないでよかった。とりわけ、もっとも身分の高い国王は、羞恥というものを一切感じないものとされていた。国王は、「穴あき椅子(いす)」と呼ばれたトイレに座ったまま政務を執り、面会を行った。貴婦人は、浴槽に入ったまま、朝のお目通りを行った。
もちろん相手が男性でもである。これは目下の人間は動物と同じという発想があったためである。そこから一つの不思議な儀式が生まれる。朝起きて着替えをするときには、必ず目下のものが下着を差し出すという習慣を利用して、わざと裸になって相手に下着を差し出させ、彼我の身分差を見せつけるというものである。
このように国王一家はだれに対しても羞恥を感ずる必要がなかったから、その生活は食事から排泄(はいせつ)行為、さらには出産まですべてが公開で、宮殿に行けば、どんな庶民でも、国王一家の私生活を見学することができた。オーストリアの宮廷から嫁いだマリ・アントワネットはこの習慣になれることができなかったため民衆の憎悪を買い、その結果、彼女が出産するときには群衆が大挙して押し寄せた。「あのオーストリア女に公開の晩餐(ばんさん)を拒否したりするとどうなるか思いしらせてやる」と。マリ・アントワネットは最後の力をふりしぼって王子を出産すると失神した。
羞恥の発生を、歴史的に理論づけようとしている箇所もあるが、その部分にあまりこだわる必要はない。右(ALL REVIEWS事務局注:右→上)の例を見ただけでも羞恥が相対的なことはだれにでもわかるのだから。
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