書評
『近代日本のメディア・イベント』(同文舘出版)
着想ユニークな野心的試み
新聞の書評に取り上げる本は、旬の物と相場が決まっている。その目安からすると、本書については、完全に証文の出し遅れとなってしまった。なぜそうなったのか。答えは簡単だ。一刻を争って取り上げる必要の無い内容だったからである。むろん、平凡だとかつまらないとかいうわけではまったくない。むしろ逆に着想のユニークさに脱帽という思いがあった。今日では日常化したマスメディアによって企画・演出されるイベントの源流を、近代化過程の中に探るという野心的試みなのだから、面白くない筈(はず)がないではないか。
十四人で十二の項目を扱った論文集の体裁。全国優勝野球大会、ラジオ体操、講道館のイベント戦略、河北新報の「健康祭」、両国国技館の納涼イベント、大阪中央放送局の「団体聴取運動」、大阪毎日新聞の事業活動、ジャーナリズムと美術、大阪朝日新聞の子どものための文化事業、新聞社の音楽事業などなど。どこから読んでもいずれ劣らず読者の興味と関心を惹(ひ)きつける。
あたかも新聞のそれこそ社会面をながめるような面持ちでいるうちに、はたと気がついた。やはり、メディアは関西に始まれりなのだ。だからメディア・イベントもまた明治以来、常に関西が主導権をもって展開してきた。のみならず地方紙が、地域性を生かしたイベント戦略を考えている様子がうかがえる。
一九三〇年代に「河北新報」が主催した「健康祭」が、当初東北という地域性に根ざした農村不況と医療の貧困への自覚からスタートし、やがて戦時体制と共に全国レベルの体位向上運動へと転換していく様は示唆的だ。また東京は国技館の納涼イベントも、毎年国内各地はおろか、北は樺太から南は南洋までの植民地を含めた風物企画のオンパレードであった。
こうして関西系優位の形でメディア・イベントが形作られ、地方色豊かな企画が喜ばれたのは一九三〇年代までだったのではないか。昭和初めのラジオ体操にいたって、東京発信モードの端緒が生まれ、やがて戦争がすべてのメディア・イベントを全国化=東京化していったと見ることは、充分可能だ。
巻末の事業年表も、見ているだけで楽しい。御披露目が遅くなったが、当分他の追随を許さないという点で、「新刊書」の資格充分。
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