5人の高校2年生、心の声に耳傾けて
井戸川射子の新作長篇『曇りなく常に良く』は、長篇としての前作『無形』に続いて、ある集団の人間たちを描いた群像劇である。高校二年生のクラスメートで、ハルア、ナノパ、ダユカ、シイシイ、ウガトワと愛称で呼ばれる五人の女の子が、かわるがわる語り手となる構成だ。青春群像劇と言えば、何か共通する目的に向かって進んだり、大きな悩みや問題を解決したり、といった物語が典型的な作りになるが、ここではそういった運びにはならない。高校二年生という卒業までには時間があり、未来の予測も立たない設定に合わせて、彼女たちにははっきりとしたゴールが見えていない。登場人物の一人であるナノパは走ることが得意で、「私は景色など目に入らない、動きにしか目は留まらない」、「私はどこにも辿(たど)り着きたくはなく、そうなるとゴールのないジョギング」と思う。未来やゴールが見えなければ、いま、ここで生きている、その動きしかない。『曇りなく常に良く』は、物語を稼働させるような出来事が起こるわけではなく、静止画を見ているような印象を読者に与えるが、それは五人の登場人物たちの微妙で敏捷な心の動きを伴った静止画なのだ。
ハルア、ナノパ、ダユカ、シイシイ、ウガトワ――こう五人の名前を並べてみると、どれもわたしたちがよく耳にする愛称ではない。『無形』にも見られた、カタカナによる呼称は、小説世界の言葉を前景化する。元の名前は「詩花(しいか)」というシイシイは、その名のとおりに、言葉に対するこだわりを持っている。先輩と別れたナノパと恋愛談義をしていて、「恋愛を分かってるからしてるわけではないんだろうし、分かんないっていうと、分かってるより劣ってるというか、分かるようにならなきゃいけないみたいな」と言いながら、「自分でも、自分の言うことは言葉のくり返し多く、それによって強調されるわけでなくただ語と語が紛れていくだけで、人には分かりにくいだろうな」とシイシイは思う。
この五人が語り手の役を交代していくが、それでは五人はそれぞれまったく独自の語り方を持っているかというと、そうではない。「私たちの声はよく似ているのでどれも混ざる」とハルアが言うとおり、語り方の違いはおそらく必要最小限に抑えられている。それはまるで、作者が五人の心の声にじっと耳を傾け、その聞き取れない声を言語化したようだ。ここでは『無形』のような意図的に普通の文体を崩す手法は用いられていないが、それでも作者独特の文章の呼吸は感じ取れる。そしてわたしたち読者は、手応えのある文章の動きに呼応した五人の心の動きに寄り添っていくことになる。
高校生とひとくくりにしてしまえば、人物造形も類型に堕して、個々が見えなくなる。一人一人の心の声に耳を傾ければ、そこにはなんと多様で豊かな世界が広がっていることだろうか。五人はそれぞれに、大きな問題ではないものの、かすかな生きにくさを感じている。しかし彼女たちは、その中でささやかな喜びを見出している。それは生きることの肯定であり、タイトルにも現れているように、常に良いのだ。
ここで常に注意を払われているのは、全体と個々という問題である。それは拡大すれば社会と個人という話になってしまうかもしれないが、社会意識の薄い高校生にとっては、それは親や兄弟であったりバイト先の先輩であったりといった、身近な人間関係から学んでいくものになる。学園小説にはつきものの、学校という器は、ここではさほど大きな役割を果たさない。「学校って外側からだと、本当に関係がないんだよな、小学生だった頃から毎日この横の道路を歩いて、これからもいつだって通ると思うけど、卒業すれば中はまるで見えないんだろうな」というナノパの思いは、なるほどそのとおりだ。その代わりに、ここで全体の役割を引き受けるのは、長篇小説という器である。
この長篇小説は、ぜんぶで二十のパートからできている。1から5までは語り手がハ→ナ→ダ→シ→ウの順に交代して、6から10まではそれがもう一度繰り返される。そして11から20までは、一人が二度続けてパートを担当し、ナナ→ウウ→ダダ→シシ→ハハとなる。まるで何かの詩形か楽曲のようなコンポジションだ。これが、ばらばらのように見えるパートをゆるやかな規則で全体にまとめあげる、作者の小さな工夫であることは間違いない。
そしてハルアが担当する最後のパートでは、やはりハルアが担当する最初のパートで五人が文化祭の準備のために体育館に集まっていたように、五人が公園に集う。ハルアが問うと、シイシイが答え、みんなで笑う。シイシイが聞くと、ダユカが答える。ウガトワが言うと、シイシイが頷く。ハルアの幼い弟がボールを取りに来て、ナノパのところへ走る。ハルアは幼い妹の背を撫で、妹もハルアに手を伸ばす。その交わされる声と無言の姿に読者はなぜか強く心動かされる。それはまるでモーツァルトの弦楽五重奏を聴くように、心地よくて曇りがない。