内容紹介
『マリア』(武田出版)
読むなら恋愛小説だ
生涯の一冊
連載第1回で世界の小説を変えた傑作と紹介したのが、コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(1967)。これが出版されるちょうど百年前に、同じくコロンビア人によって書かれ、その後広くスペイン語圈で読み継がれることとなった小説に、ホルヘ・イサークスの『マリーア』(1867)がある。傑作はコロンビアから生まれるということか? 20世紀前半のスペインを代表する知識人、哲学者のミゲル・デ・ウナムーノは、60歳近くになってこの小説を読んで、いたく感動し、「私が16の歳に読んでいれば、これは私の生涯の一冊になっただろうに」と言ったとか。何度か映画化もされ、常にいくつもの版が書店に並ぶ『マリーア』は、紛れもなく現代に生きる古典だ。
恋愛小説の法則
老ウナムーノが感動した『マリーア』は典型的なロマン主義の恋愛小説だ。やっぱり小説は恋愛小説にとどめを刺す。ウナムーノほどの立派な大人でも感動したのだから、人はいくつになっても恋の物語に心を躍らせるということなのだろう。君、ここはひとつ、恋愛小説を読みたまえ。そして実際の恋に思いをはせるのだ。例えば幼なじみとか、隣人とか、訳あって同居する兄弟同様の存在などに、あるとき主人公が運命的に恋をしていることに気づく、などという話なら、恋の物語としては理想的だ。そんな擬似兄弟的な関係だから、2人の仲はいっこうに進展しない。だから読者はやきもきしながら読み続ける。そしてついには結ばれないまま一方が病気で死んでしまうとしたら……? 不謹慎だが、恋愛小説にはそういうパターンがある。死をもってしか報われない悲恋の物語だ。
こうした恋愛小説のパターンをうまく捉(とら)えているのが『マリーア』だ。大農園主の息子エフラインが、父の親友の娘で、ある事情で家族に引き取られて妹のように育てられることになった美少女マリーアに思いを寄せるけれども、気をもたせるようなやりとりが続くばかり、しまいにはエフラインがヨーロッパに学業を修めに行っている間に、マリーアは死んでしまうというのが、この小説のストーリー。
恋する者に世界は美しい
ストーリーだけをこうしてかいつまんで話してしまえば、この小説は実にいろいろな恋愛小説に似ている。『野菊の墓』?――なるほど。『愛と死』?――確かにそうだ。やはり恋愛小説には一定のパターンがあるのだろう。でも、だからこそ、重要なのはそうしたストーリーの概要ではない。『マリーア』の場合重要なのは、エフラインの恋心が印象的な風景の中で展開されるということだ。恋する者には風景がとても美しく見えるのだ。
Una tarde, como las de mi país, engalanada con nubes de color de violeta y lampos de oro pálido, bella como María, bella y transitoria como fue ésta para mí, ella, mi hermana y yo, sentados sobre la ancha piedra de la pendiente, desde donde veíamos a la derecha en la honda vega rodar las corrientes bulliciosas del río, y teniendo a nuestros pies el valle majestuoso y callado, leía yo el episodio de Atala, y las dos, admirables en su inmovilidad y abandono, oían brotar de mis labios toda aquella melancolía aglomerada por el poeta para “hacer llorar al mundo”.Jorge Isaacs,
(María, Editión de Donaldo McCrady, México:REI / Cátedra, 1988: p.78より引用)
ある日の午後、私の国の午後は常にそうであるように、すみれ色の雲と白金の閃光(せんこう)に彩られて美しく、マリーアのように美しく、私にとってのマリーアのように美しくはかなかった。そんな日の午後、彼女と妹と私は、坂の広い石の上に腰掛け、右手の広野の奥には騒がしい音を立てて流れる川を、そして足もとには勇壮にして静かに広がる谷を眺めた。私かアタラの物語を読んで聞かせると、ふたりは驚くほどに身動きもせずうっとりとして、私の唇から、詩人が「世界を泣かせる」ために紡ぎ上げたメランコリックな言葉がわき出るのに聞き入っていた。
【訳は柳原】
風景はマリーアのように美しい。マリーアは風景のように美しい。それに気づいた「私」の心は、気づかなかった昨日よりは少しは大人になっているはずだ。君も恋をすれば、恋するあの人のように美しい周囲の風景を発見できるかもしれない。これまで聞こえなかった小川のせせらぎが聞こえるかもしれない。恋愛小説が貴重なのは、こうした細部の描写のゆえだし、その細部に気づく主人公の心の成長のゆえなのだ。小説『マリーア』は、マリーアその人のように美しい。マリーアを愛するエフラインの心のように美しい。
注)『マリーア』からの引用の訳文は柳原によるものだが、この小説には邦訳が存在する。
ホルヘ・イサークス『マリア』堀アキラ訳(武田出版/星雲社, 1998)
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