書評
『白い果実』(国書刊行会)
独裁者ビロウの精神世界を具現化させた〈理想形態市(ウェルビルトシティ)〉を首都とする東の帝国。科学と魔法双方に長じた天才ビロウは〈クリスタルやピンクの珊瑚、尖塔(せんとう)、蔦(つた)の絡まる格子垣。そういうものにあふれた〉美しい都市を作り上げ、自らが体系づけた観相学を人々を支配する道具として使っている。この物語は、ビロウの忠実な部下である観相学者クレイが、辺境の町アナマソビアに派遣されるところから幕をあけるのだ。
彼の任務は、鉱山で発見され、いつまでも腐ることなく教会に保存されていた、食べれば不死身になれるという噂もある〈白い果実〉を盗み出した犯人を突き止めること。早速、得意の観相学を用いて調査に乗り出すクレイだったが、見目も心も美しい聡明な女性アーラを助手にしたところから、ダイヤモンドのように冷ややかで堅かった彼の心に揺らぎが生じはじめる。やがて、次々と起こる異様な事件に翻弄されているうちに、自分を見失い――。
一九九八年、受賞作にハズレのないことで知られる世界幻想文学大賞を受賞したジェフリー・フォードの『白い果実』は、異世界を舞台としたファンタジーに、都市と自然、束縛と自由、男と女、善と悪といった様々な対立項のテーマを織り込んだ、妖(あや)しく美しいながらも骨太な作品になっている。理想を追求するあまり恐怖政治を布(し)くビロウに、ヒトラーの愚行を重ねることは難しくないし、向学心に富みながら女性であるがゆえにクレイから理不尽な扱いを受けるアーラの姿は、すべての女性読者の共感を呼ぶにちがいない。そう、これは何よりも“女性にまつわる物語”として味わってほしい小説なのだ。と同時に、アーラに対する罪を背負ったクレイの(つまり、女性に対する罪を背負った男性の)失墜と贖罪(しょくざい)を描くことで、フェミニズム的な視線も獲得している。
実際、女性蔑視者にして、権力を握る者特有の独善性に満ちたクレイのイヤったらしさといったらどうだろう。ヤなキャラ主人公のコンテストがあったら上位入賞間違いなし。だから、はじめ超エリートとして登場したクレイが、己の慢心からどんどん道を踏み外し、とうとうビロウの怒りをかって、島流しにあうくだりは読んでいて痛快至極。己の罪を深く悟り、いいキャラに変化していく後半の展開が残念に思えてくるほどのクソッタレ野郎なのだ。
そんなふうにリアルに感情移入できてしまうくらい個性が際だつ、ビロウ、クレイ、アーラ、アーラと行動を共にする謎めいた旅人、クレイが流刑された島にいる双子の伍長、猿のサイレンシオといった登場人物の魅力、ファンタジーならではの異形の想像力を駆使した世界観のユニークさ、理想形態市がまとうまがまがしい人工美、白い果実の正体をめぐる謎と、読みどころ満載。辺境の村を舞台にした第I部はカフカのような不条理文学、流刑地を舞台にした第II部は幻想小説、第III部でクレイが理想形態都市に戻ってきてからの展開はSF冒険小説のよう。一冊で幾種類もの文学のスタイルが味わえる贅沢な構成も嬉しい限りだ。
おまけに、訳文を統一しているのが山尾悠子! 山尾悠子といえば、七十年代後半から八十年代にかけ、『夢の棲む街』をはじめとする傑作SF&幻想小説を発表しながら、あまりの寡作ゆえに“幻の作家”と呼ばれるに至っている、精緻なタピストリーのごとき文体の持ち主なのである。『山尾悠子作品集成』(国書刊行会)を、ぜひ一度ひもといて下さい。『白い果実』が、彼女の訳文を得た幸運がしみじみ了解できるので。さまざまな読みどころに、プラス山尾悠子の訳文。つまり、鬼に金棒。しかも、これが壮大な三部作の第一部にすぎないというのだから空恐ろしい。お楽しみはこれからなんである。
【この書評が収録されている書籍】
彼の任務は、鉱山で発見され、いつまでも腐ることなく教会に保存されていた、食べれば不死身になれるという噂もある〈白い果実〉を盗み出した犯人を突き止めること。早速、得意の観相学を用いて調査に乗り出すクレイだったが、見目も心も美しい聡明な女性アーラを助手にしたところから、ダイヤモンドのように冷ややかで堅かった彼の心に揺らぎが生じはじめる。やがて、次々と起こる異様な事件に翻弄されているうちに、自分を見失い――。
一九九八年、受賞作にハズレのないことで知られる世界幻想文学大賞を受賞したジェフリー・フォードの『白い果実』は、異世界を舞台としたファンタジーに、都市と自然、束縛と自由、男と女、善と悪といった様々な対立項のテーマを織り込んだ、妖(あや)しく美しいながらも骨太な作品になっている。理想を追求するあまり恐怖政治を布(し)くビロウに、ヒトラーの愚行を重ねることは難しくないし、向学心に富みながら女性であるがゆえにクレイから理不尽な扱いを受けるアーラの姿は、すべての女性読者の共感を呼ぶにちがいない。そう、これは何よりも“女性にまつわる物語”として味わってほしい小説なのだ。と同時に、アーラに対する罪を背負ったクレイの(つまり、女性に対する罪を背負った男性の)失墜と贖罪(しょくざい)を描くことで、フェミニズム的な視線も獲得している。
実際、女性蔑視者にして、権力を握る者特有の独善性に満ちたクレイのイヤったらしさといったらどうだろう。ヤなキャラ主人公のコンテストがあったら上位入賞間違いなし。だから、はじめ超エリートとして登場したクレイが、己の慢心からどんどん道を踏み外し、とうとうビロウの怒りをかって、島流しにあうくだりは読んでいて痛快至極。己の罪を深く悟り、いいキャラに変化していく後半の展開が残念に思えてくるほどのクソッタレ野郎なのだ。
そんなふうにリアルに感情移入できてしまうくらい個性が際だつ、ビロウ、クレイ、アーラ、アーラと行動を共にする謎めいた旅人、クレイが流刑された島にいる双子の伍長、猿のサイレンシオといった登場人物の魅力、ファンタジーならではの異形の想像力を駆使した世界観のユニークさ、理想形態市がまとうまがまがしい人工美、白い果実の正体をめぐる謎と、読みどころ満載。辺境の村を舞台にした第I部はカフカのような不条理文学、流刑地を舞台にした第II部は幻想小説、第III部でクレイが理想形態都市に戻ってきてからの展開はSF冒険小説のよう。一冊で幾種類もの文学のスタイルが味わえる贅沢な構成も嬉しい限りだ。
おまけに、訳文を統一しているのが山尾悠子! 山尾悠子といえば、七十年代後半から八十年代にかけ、『夢の棲む街』をはじめとする傑作SF&幻想小説を発表しながら、あまりの寡作ゆえに“幻の作家”と呼ばれるに至っている、精緻なタピストリーのごとき文体の持ち主なのである。『山尾悠子作品集成』(国書刊行会)を、ぜひ一度ひもといて下さい。『白い果実』が、彼女の訳文を得た幸運がしみじみ了解できるので。さまざまな読みどころに、プラス山尾悠子の訳文。つまり、鬼に金棒。しかも、これが壮大な三部作の第一部にすぎないというのだから空恐ろしい。お楽しみはこれからなんである。
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