書評
『写真論――距離・他者・歴史』(中央公論新社)
人を常時見つめる世界
生物学者のライアル・ワトソンは、一九七六年に発表した『未知の贈りもの』で、衝撃的な体験を報告している。インドネシアのヌス・タリアンの海で、彼の乗った小舟は、巨大な光の輪に取り囲まれる。イカの巨大な群れは、クルーの動きによって、放つ光の強度や頻度を変化させていく。光は感情を表現しているかのようだった。私たちはイカを観察しているのではなく、地球に見つめられている。「われわれは地球の目であり、耳であり、われわれの考えることは地球的思考である」。地球をひとつの生命体と考えるなら、イカもカメラもその目であるとも考えられる。港千尋の秀作『写真論』は、視覚をめぐる関係性の変動が、現実を揺るがしていると告げている。デジタル・カメラの出荷数が激減するのと反比例するように、スマートフォンなどで撮られる写真の数は、飛躍的に増大した。さらに街頭の監視カメラのように、常時接続されている映像が世界を見つめている。さらには、人間が撮る写真は、人間の営みを記録する映像によって乗り越えられつつある。港は「写真圏」が地球を覆っていると考える。
本書は二百年の写真の歴史を、メディアの劇的な変化を踏まえて、更新しようとする。距離、他者、歴史の視点によって、現在から過去へさかのぼり再構築していく。活躍中の写真家も縦横に引用する。また、半世紀以上前に書かれた文化人類学者エドワード・ホールの『かくれた次元』の研究を例にとる。「密接距離」「個体距離」「社会距離」「公衆距離」。新型コロナウイルスの脅威が、人と人との距離、ソシアル・ディスタンスを変えた事態をとらえ直す。
注目すべきは、アフリカ系アメリカ人撮影の写真群の歴史である。ゴードン・パークスの「アメリカン・ゴシック、合衆国政府のために掃除婦として働くエラ・ワトソン、ワシントンDC」(一九四二年)は、今も緊迫力を失わない。写真の奥から見つめ返す黒人の視線が、鑑賞者を揺さぶり、覚醒させる。誠実な写真の力を明らかにしていた。
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