書評
『コミック 文体練習』(国書刊行会)
トヨザキ的評価軸:
◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
バスの中で誰彼かまわず文句をつけている男を、二時間後別の場所で偶然また見かけると、その男は連れから「きみのコートには、もうひとつボタンを付けたほうがいいな」と言われていた――ただ、それだけのシチュエーションを九十九のヴァリエーションで語り直した、前人未踏の言葉遊び。「よく、やるよー」のひと言に尽きる、壮大な冗談というべき労作なのです。
で、物好きな輩はいるもので、こんな大変なことにコミックで挑戦したのがマット・マドン。『コミック文体練習』は、パソコンで書き物をしていた男が作業を中断し、リビングに出てくるも、二階から妻に「いま何時?」と聞かれ一時十五分だよ」と答えたせいで、冷蔵庫を開けたのにいったい何を探していたのかわからなくなってしまった――という日常よくありがちなシチュエーションを、九十九ものヴァリエーションで描き直しているのです。冷蔵庫の視点で描いた25ページ、コマの外の状況も描き込んだ87ページ、青年誌に入っているボディビルの広告を模した103ページ、アメコミをパロッた107ページ、ネモシリーズで有名なウィンザー・マッケイの夢オチをパスティーシュした113ページ、進化論をなぞった161ページ、天地創造をする神を茶化した163ページなど、本家に負けじ劣らずの「よく、やるよー」ぶり。
レーモン・クノー版とコミック版の文体練習を併読すると、言葉でしかできない試み、逆に絵が得意とする描写、同じ手法を用いた場合の言葉と絵の違いといった、言語表現と視覚表現の差異を楽しく易しく理解することができます。が、小説だろうがコミックだろうが、〈ストーリーというのは、どれだけ単純で凡庸なものであっても、それを物語る方法と切り離すことができるものだろうか?〉(序文より)という問題提起から逃れられないことに変わりはありません。というわけで、小説や漫画がストーリーとプロットとキャラクタライゼーションだけで成り立っていると思いこんでいる、無邪気で暢気な表現者の皆さんにこそ一読をおすすめする次第なんですの。もっと勉強なさって。
【この書評が収録されている書籍】
◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
よく、やるよーのひと言。壮大な言葉遊びにコミックで挑む
六〇年代フランス文壇を席巻した、回文や異文字詩(同じ文字を一度しか用いない詩)、特定のアルファベットを用いない文字落としといった、大胆なテクニックを用いる言語遊戯の実験工房「ウリポ」の象徴として知られる前衛作家レーモン・クノーの代表作といえば、ルイ・マルによって映画化された『地下鉄のザジ』(中公文庫)ですが、でも、もっとも洒落が利いていて笑える一作なら、断然『文体練習』だと思うわたくしなんですの。バスの中で誰彼かまわず文句をつけている男を、二時間後別の場所で偶然また見かけると、その男は連れから「きみのコートには、もうひとつボタンを付けたほうがいいな」と言われていた――ただ、それだけのシチュエーションを九十九のヴァリエーションで語り直した、前人未踏の言葉遊び。「よく、やるよー」のひと言に尽きる、壮大な冗談というべき労作なのです。
で、物好きな輩はいるもので、こんな大変なことにコミックで挑戦したのがマット・マドン。『コミック文体練習』は、パソコンで書き物をしていた男が作業を中断し、リビングに出てくるも、二階から妻に「いま何時?」と聞かれ一時十五分だよ」と答えたせいで、冷蔵庫を開けたのにいったい何を探していたのかわからなくなってしまった――という日常よくありがちなシチュエーションを、九十九ものヴァリエーションで描き直しているのです。冷蔵庫の視点で描いた25ページ、コマの外の状況も描き込んだ87ページ、青年誌に入っているボディビルの広告を模した103ページ、アメコミをパロッた107ページ、ネモシリーズで有名なウィンザー・マッケイの夢オチをパスティーシュした113ページ、進化論をなぞった161ページ、天地創造をする神を茶化した163ページなど、本家に負けじ劣らずの「よく、やるよー」ぶり。
レーモン・クノー版とコミック版の文体練習を併読すると、言葉でしかできない試み、逆に絵が得意とする描写、同じ手法を用いた場合の言葉と絵の違いといった、言語表現と視覚表現の差異を楽しく易しく理解することができます。が、小説だろうがコミックだろうが、〈ストーリーというのは、どれだけ単純で凡庸なものであっても、それを物語る方法と切り離すことができるものだろうか?〉(序文より)という問題提起から逃れられないことに変わりはありません。というわけで、小説や漫画がストーリーとプロットとキャラクタライゼーションだけで成り立っていると思いこんでいる、無邪気で暢気な表現者の皆さんにこそ一読をおすすめする次第なんですの。もっと勉強なさって。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする








































