書評
『パリと日本人 近代文学セレクション』(平凡社)
戦争、思索、意識を変える場への軌跡
和田博文編『パリと日本人 近代文学セレクション』は、四章からなるアンソロジーの構成によって編者の批評的視点を明確に示しながら、読者を飽きさせない読みものにしあがっている。日本人と「巴里(パリ)」の関係を、一九一四年の第一次大戦開戦前夜から戦後までの時間の層として示す第一章では、まず与謝野晶子や高村光太郎、島崎藤村らの、芸術への憧れに満ちた都市が描かれるのだが、大戦勃発で状況は一変する。藤村自身、「戦争の空気に包まれたる巴里」からリモージュへ、長谷川昇や森田恒友はロンドンへ移動し、少し遅れてパリに入った吉江喬松(たかまつ)は、ドイツの爆撃機の飛ぶ空を見あげながら文学研究を進めたが、戦争は日常の細部にまで入り込む。
戦間期のパリに、日本人が再び集う。第二章では、岡本一平の高揚、大杉栄のサンテ刑務所への投獄とそこで覚えた酒の記憶、そして芹沢光治良(こうじろう)の、当時フランスで違法だった堕胎の経験を語る小説など、生活と倫理の交錯が記された文章が並び、人名からは聴き取れない声が伝わってくる。九鬼周造の思索、蕗谷(ふきや)虹児の貧窮、伊藤廉による佐伯祐三の思い出、岡本かの子の日仏「烏(からす)貝」(ムール貝)の比較。圧倒的な金子光晴の語りをふくめて、パリは身体的な経験を吸いあげる装置になっていく。
この通史における戦争の介入は第三章でより明確になる。すでに知っている文章でも、構成のリズムによって感情の色合いが変わって見える。野上弥生子はパリ祭のバスティーユ広場で革命に燃えた歴史よりも哀愁を帯びた庶民を目撃し、久生(ひさお)十蘭は恋愛小説の体裁を借りながら、開戦間もない時期の、いまに通じる国際的な軍事資材の取引の闇に触れた。
一方で画家の関口俊吾は、ビヤリッツで夜警に捕まったとき、ドイツ語で「私は日本人である」と言って釈放された経験を語り、「同盟国のありがたさを、私はつくづくと感じた」と記した。日独伊の負の歴史は、まだ見えていない。
第四章は第二次大戦後の思想、価値観、生活の質的転換を示す。街区の美は「表面に過ぎない」とし、内に凝集する人間の形を感じ取った森有正、その後に続いた辻邦生らから、壁新聞の言葉に着目して五月革命の本質を突く開高健、運動が賃金闘争へ収束する現実を観察し、サルトルやボーヴォワールと文楽を見た夜の思い出に触れながら、改革も可能だと自覚した経緯を語る朝吹登水子まで、パリは日本人にとって憧れの都市から思索と歴史の場へ、さらに意識を変える契機の場へと変貌する。
ここまでの流れを、著名な作家や画家だけでなく、もう少し周縁的な書き手の文章を積極的にとりあげることで、本書はたんなる作品集ではなく、パリという都市に集う日本人の変容を読者が追体験できる絵巻となった。芸術・文学のみならず、戦争、占領、留学生、思想、労働運動までを視野に収め、パリが歴史と政治の舞台でもあった事実が、文庫一冊ほどの規模でみごとに示されているのだ。
最後に置かれた、編者による補足的なエッセイを読むと、画家たちの言葉をもう一度たどり直したくなるだろう。
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