書評
『灰色の鎖 PFAS汚染列島』(文藝春秋)
欧米では賠償、浄化 動かない日本政府
発がん性のある化学物質PFASの存在は長らく問題にされてきたが、国が徹底追及しているようには見えない。私は東京都多摩地区の出身だが、地元ではアメリカ軍・横田基地から流出した泡消火剤が問題視されている。「欧米ではPFASを排出してきた企業や米軍の責任が問われ、汚染された水を飲んで健康を崩した住民たちへ賠償金が支払われ、汚染された水や土の浄化も進む」とあるが、日本では汚染者の責任が問われていない。なぜなのか。この疑問を掘り下げるルポルタージュだ。PFASの特徴は、たとえば水俣病やイタイイタイ病のような公害と比べ、「特異な症状」が出るわけではない。だからこそ、発がん性にしろ、胎児や子どもの発育への影響にしろ見えにくい。「ステルス汚染」と記しているが、ハッキリと出ないものなのだから、ハッキリさせなくてもいい、というむちゃな論理が放置されている。
岡山県吉備中央町で有機フッ素化合物PFOA(PFASの一種)の暫定目標を超える数値が出た結果、飲料水としての使用が制限され、自治体による住民の血液検査が実施された。実施が決まり、環境省が慌てふためく。「血中濃度が明らかになっても、基準はなく、健康影響との因果関係が明らかになるわけではない」と突っぱねたが、その結果は「こどもを含む住民709人の血中濃度の平均値は、国の70倍を超えていた」。
確かにそれだけでは健康被害の立証にはならず、年単位での継続的な調査が必要。そのためには集団を長期的に追わなければならない。ステルス汚染なので、誰かの健康が害されても、原因として明確にするのが難しい。「日本では被害が確認されていないのではなく、調査をしないことによってあたかも影響がないかのように演出されているにすぎない」のだ。
環境省は他の省庁と比べて、動く金が多いわけではない。もっと下品な言い方をすれば、稼げる省庁ではない。自(おの)ずと権限が弱くなる。事を荒立てないほうが優れた仕事となってしまう。経緯を知れば知るほどそう思わざるを得ない。リスク評価を決める「PFASワーキンググループ」で座長を務めたのは、みずから「PFASの専門家でもなんでもない」と豪語してしまう人物だった。専門家を外したのはなぜなのか。
非公開で行われた打ち合わせの議事録の公開を求めても、そういった場では「ケンカ腰で対立することもありうる」ものであり、それを「オープンにするのがあなたにとっての透明性なんですか」と挑発的に牽制(けんせい)してくる。とにかく大きな問題にはしたくない、だから、何が問題かも言わない。こんなに稚拙な論法もない。
米軍基地の問題でもあるので、日本政府は積極的に動こうとしない。先の日米首脳会談における日本のトップの振る舞いを思い出せば、厳しく問う動きはますます遠ざかったと読むべきだろう。飲み水の安全は国民の暮らしに直結する問題だが、市民からの疑念や不安を解消せず、国は、その疑念や不安自体を無効化しようとしている。「無責任のループとでも呼ぶものが国全体を覆っている」と著者。これまでの公害問題にも共通してきた「ループ」だ。この態度、つまり、たぶん大丈夫だと思うくらいの感覚がやがて何を招いたか。直視しないままでいいのか。
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