書評
『パンセ』(岩波書店)
噛み切れない論理
「噛み切れない論理」でないと俺は信用しないと、若いころ三角関係に苦しんだ友人が、わたしに語ったことがある。が、噛み切れなくてもやはり論理でなければならないと言いたかったのだとおもう。ほんとうにものを切る鋭角的な論理をしか信用しない人間だったから、だからよけいに、形式的に噛み切ってしたり顔をしている精神に我慢がならなかったのだろう。さて、これまでわたしが開く回数がきわだって多かった書物は、あまりに「古典」らしくて言うのも照れるが、パスカルの『パンセ』だ。いまでも机のいちばん手元近くに置いている。いい歳をして、まだ何でも言い切ってしまう青臭さが抜けなかった二十代、この書物は、割り切るというのは早すぎても遅すぎてもいけないことをきちっと教えてくれた。「理性はたわみやすいものである」とか「二つの行き過ぎ。理性を排除すること、理性しか認めないこと」といった記述に備わった手応えのある厚みに、じぶんが急に大人になった気がしたものだ。「人間は天使でも獣でもない。そして不幸なことには、天使のまねをしようと思うと、獣になってしまう」というアイロニーには、思い当たるふしがありすぎた。〈わたし〉という存在が孕んでいる底なしの偶然性と深く戯れるさまは、ときに痛切でもある。
きちっと割り切れる推理の精神とどこまでも割り切れないものへの濃やかな感受性を折り込んだ精神とのふたつを合わせもつことがたいせつなのだとおもう、人生においては。それをパスカルは、〈幾何学の精神〉と〈繊細の精神〉というふうに呼んでいる。
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