書評
『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』(扶桑社)
トヨザキ的評価軸:
「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
とりわけいただけないのが、そこかしこにあるアフォリズムめいた言説の数々です。〈栄枯盛衰の無情、家族繁栄の刹那。人々が当たり前のように求める、その輝きと温かさを玉虫色のものだと不信な眼でしか見ることができなかった〉〈子が親元を離れてゆくのは、親子関係以上のなにか、眩しく香ばしいはずの新しい関係を探しにゆくからだ。(中略)しかし、それを願えば願うほど落胆の種になる。失望し、心ちぎられる。(中略)悲観し、あきらめかけても幻想はその想いをからめとり、錯覚と幻覚を漂わせながらまた、壁の中へと引き戻す〉などなど。そうした同人誌調ナルシスト言説には、正直いって相当辟易してしまったんですの。
その一方で――。
というゲイバーでオカマのあそこを見せられるシーンなど、リリー・フランキー調の文章は、それはもう抜群に面白いのです。
つまり――。大好きなオカンを恋うるナイーブな心性を綴る際の本名“中川雅也”としての稚拙な文章と、人気コラムニスト“リリー・フランキー”としての作りこんだプロの文章がせめぎあう、そのぎくしゃくした語りを、「だからこそ等身大で、だからこそ胸に訴えかける」と賞賛するか、「小説の体をなしていない」と否定するかで、評価は二分されるんでありましょう。で、冒頭に「ビミョ~」と記したのは、そのふたつの文体の乖離が意図的なものであれば金の斧で、無自覚天然なのであれば鉄の斧だからなんですの。新聞書評では、とりあえず意図されたものと仮定したんですけど……、なんか今でも釈然としないんですよねえ。わざとなのかなあ、天然なのかなあ。
あー、モヤモヤするっ!
【この書評が収録されている書籍】
「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
わざとなのかなあ。天然なのかなあ。ビミョ~
某新聞社の依頼で『東京タワー』を書評したんですの。けど、ビミョ~。わたしにはこの小説を、世間の皆さんみたいに無条件で熱く支持できないんであります。小倉で生まれ、三歳の時にはオトンとオカンが別居して、やがてオカンの実家がある筑豊の炭鉱町に移り住み、大学入試で上京。現在のリリー・フランキーとなり、ガンと闘うオカンを看取るまでを、過去→現在という時系列にそって描いたこの小説には、だって小説としての企みは皆無でございましょ。とりわけいただけないのが、そこかしこにあるアフォリズムめいた言説の数々です。〈栄枯盛衰の無情、家族繁栄の刹那。人々が当たり前のように求める、その輝きと温かさを玉虫色のものだと不信な眼でしか見ることができなかった〉〈子が親元を離れてゆくのは、親子関係以上のなにか、眩しく香ばしいはずの新しい関係を探しにゆくからだ。(中略)しかし、それを願えば願うほど落胆の種になる。失望し、心ちぎられる。(中略)悲観し、あきらめかけても幻想はその想いをからめとり、錯覚と幻覚を漂わせながらまた、壁の中へと引き戻す〉などなど。そうした同人誌調ナルシスト言説には、正直いって相当辟易してしまったんですの。
その一方で――。
「触っときなさーい。うまいことここも作ってあるんやけん、ほらあ」/「うわー!なんか、こえー!!」。本当に怖ろしかった。/「ちゃんと、触らせてもろうとけ」。オトンはブランデーを飲みながら笑っていた。ボクが初めて触れたマンコは、このカスタムマンコ、かつてチンコと呼ばれたマンコだった
というゲイバーでオカマのあそこを見せられるシーンなど、リリー・フランキー調の文章は、それはもう抜群に面白いのです。
つまり――。大好きなオカンを恋うるナイーブな心性を綴る際の本名“中川雅也”としての稚拙な文章と、人気コラムニスト“リリー・フランキー”としての作りこんだプロの文章がせめぎあう、そのぎくしゃくした語りを、「だからこそ等身大で、だからこそ胸に訴えかける」と賞賛するか、「小説の体をなしていない」と否定するかで、評価は二分されるんでありましょう。で、冒頭に「ビミョ~」と記したのは、そのふたつの文体の乖離が意図的なものであれば金の斧で、無自覚天然なのであれば鉄の斧だからなんですの。新聞書評では、とりあえず意図されたものと仮定したんですけど……、なんか今でも釈然としないんですよねえ。わざとなのかなあ、天然なのかなあ。
あー、モヤモヤするっ!
【この書評が収録されている書籍】
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