書評
『きもの』(新潮社)
これは幸田文が一九六五年から断続的に書いていた自伝的小説である。
女にとって「きもの」がどんな意味を持っているのか。生まれてから晩年まで、きものにこめられた数々の想い、くやしさ、怒り、そして喜び。読んでいてはっとさせられるところが多い。こんなふうにも女は着るものに執着し、迷い、憧れるのか。
著者の軌跡が重ねられている主人公のるつ子はカンが強く、神経は細く、気性は負けん気で、感受性の豊かな女である。そして、その精神性の高さ感性の鋭さゆえに屡々傷つかない訳にはいかない。
その主人公の上の二人の姉は俗を代表する愚者である。ここには、どんな作者や文学者も悩まされてきた、周辺の者との相克も描かれている。
小説が展開されているのは明治の終わりから大正の終わりに到る時代であり、これは作者の生きた少女時代に相当する。
この作品が最初から読者を捕えて離さないのは、自らを客観化する努力など必要ないほどの文学性とでも呼ぶべき性質を、作者が天性備えていたからではないかと思われる。主人公るつ子の人間としての能力は、彼女の気性の強さ、世俗的な意味での世渡り下手さと表裏一体になっていた。この頃、日本にはまだ家というものがあり、老人があり親戚があり、共同体が生きていた。読んでいて私は久しぶりに昔親しんだゴーリキイの自伝的小説のいくつかを想起した。たとえば彼の『人々の中』は「私は人々の中にいる。町の本通の〈流行履物〉店で〈小僧〉をしている」(高野槌蔵記 改造社版)ではじまっている。『きもの』は「引き千切られた片袖がまんなかに置かれ、祖母と母とるつ子が三角形にすわっていた。るつ子が叱られているのだった」ではじまっている。彼女は母親にあまり愛されていないと感じている。彼女の才知が子供の頃から遥かに母親を超えているからでもある。彼女は母の死後、関東大震災直後は雑貨などの小売りをして家を助けたりもするのである。娘だが父親の愛人清村そのの人間としての美しさ勁さを見抜く力を持っていて彼女を慕う。彼女には女学校時代の親友、貴族の娘の朝霞ゆう子と貧しい家の出身の伊東和子がいる。この二人は、人生の案内役であるしっかり者の祖母とはまた違ったそれぞれ別の方角からるつ子に人生と社会を教えるのである。二人の物の感じ方世の中への対し方を彼女は自分のなかに取り入れて育ってゆく。この彼女の成長が着物とのかかわり合いを軸に展開される。題材からすれば私小説ということになるが、これはいわゆる自然主義という概念から導き出された「私小説」とは完全なまでに異質である。この作品を読むと「私小説」という分類、命名がいかに非文学的で俗なジャーナリズムのものだったかを教えられる思いがする。むしろ、同じように俗な命名を使うなら教養小説と言った方が、いくらか作品の本質に近いだろうか。そう思わせるのは、口承、伝承が生きていた時代の人間関係の暖かさ、患(わずら)わしさの中で、大人にもまれながら主人公が育ってゆくからである。彼女は女の顔に、木綿顔と絹の顔があることを教えられる(これは値段の高下が人格の高下とイコールになった金権社会が出来上がる以前の話である)。
現代において「教養小説」などというと、それだけで読者、ことに若い読者からそっぽを向かれると思う通念が支配的なようだが、こうした通念こそ本質的に非文学的なのではないだろうか。『黒い裾』『流れる』『闘』と続く幸田文の作品を思い起こせば、彼女がおよそ、文壇の〝常識〟や〝付合い〟に無縁なところで、本来の文学性だけを武器にして書いてきた作家であったことが明らかになるだろう。現代の若者でも、彼らが若者である限り〝教養〟を求めていることは明らかである。ただそのアクセスが昔と異なっているだけの話であり、本当の若者達が最も軽蔑するのは「もう教養小説は流行らない」として、おもねた作品を書こうとする態度であるだろう。
バブル崩壊後、この教養小説の問題も含めて、新しく文学復興の兆があることは、たとえば車谷長吉の『鹽壺の匙』などが評価されていることにも現われているが、幸田文学の掉尾を飾るこの『きもの』は、ここ数十年の物質万能の大衆社会の中でも、我が国の文学は生き続けていたことを証明するようである。
【この書評が収録されている書籍】
女にとって「きもの」がどんな意味を持っているのか。生まれてから晩年まで、きものにこめられた数々の想い、くやしさ、怒り、そして喜び。読んでいてはっとさせられるところが多い。こんなふうにも女は着るものに執着し、迷い、憧れるのか。
著者の軌跡が重ねられている主人公のるつ子はカンが強く、神経は細く、気性は負けん気で、感受性の豊かな女である。そして、その精神性の高さ感性の鋭さゆえに屡々傷つかない訳にはいかない。
その主人公の上の二人の姉は俗を代表する愚者である。ここには、どんな作者や文学者も悩まされてきた、周辺の者との相克も描かれている。
小説が展開されているのは明治の終わりから大正の終わりに到る時代であり、これは作者の生きた少女時代に相当する。
この作品が最初から読者を捕えて離さないのは、自らを客観化する努力など必要ないほどの文学性とでも呼ぶべき性質を、作者が天性備えていたからではないかと思われる。主人公るつ子の人間としての能力は、彼女の気性の強さ、世俗的な意味での世渡り下手さと表裏一体になっていた。この頃、日本にはまだ家というものがあり、老人があり親戚があり、共同体が生きていた。読んでいて私は久しぶりに昔親しんだゴーリキイの自伝的小説のいくつかを想起した。たとえば彼の『人々の中』は「私は人々の中にいる。町の本通の〈流行履物〉店で〈小僧〉をしている」(高野槌蔵記 改造社版)ではじまっている。『きもの』は「引き千切られた片袖がまんなかに置かれ、祖母と母とるつ子が三角形にすわっていた。るつ子が叱られているのだった」ではじまっている。彼女は母親にあまり愛されていないと感じている。彼女の才知が子供の頃から遥かに母親を超えているからでもある。彼女は母の死後、関東大震災直後は雑貨などの小売りをして家を助けたりもするのである。娘だが父親の愛人清村そのの人間としての美しさ勁さを見抜く力を持っていて彼女を慕う。彼女には女学校時代の親友、貴族の娘の朝霞ゆう子と貧しい家の出身の伊東和子がいる。この二人は、人生の案内役であるしっかり者の祖母とはまた違ったそれぞれ別の方角からるつ子に人生と社会を教えるのである。二人の物の感じ方世の中への対し方を彼女は自分のなかに取り入れて育ってゆく。この彼女の成長が着物とのかかわり合いを軸に展開される。題材からすれば私小説ということになるが、これはいわゆる自然主義という概念から導き出された「私小説」とは完全なまでに異質である。この作品を読むと「私小説」という分類、命名がいかに非文学的で俗なジャーナリズムのものだったかを教えられる思いがする。むしろ、同じように俗な命名を使うなら教養小説と言った方が、いくらか作品の本質に近いだろうか。そう思わせるのは、口承、伝承が生きていた時代の人間関係の暖かさ、患(わずら)わしさの中で、大人にもまれながら主人公が育ってゆくからである。彼女は女の顔に、木綿顔と絹の顔があることを教えられる(これは値段の高下が人格の高下とイコールになった金権社会が出来上がる以前の話である)。
現代において「教養小説」などというと、それだけで読者、ことに若い読者からそっぽを向かれると思う通念が支配的なようだが、こうした通念こそ本質的に非文学的なのではないだろうか。『黒い裾』『流れる』『闘』と続く幸田文の作品を思い起こせば、彼女がおよそ、文壇の〝常識〟や〝付合い〟に無縁なところで、本来の文学性だけを武器にして書いてきた作家であったことが明らかになるだろう。現代の若者でも、彼らが若者である限り〝教養〟を求めていることは明らかである。ただそのアクセスが昔と異なっているだけの話であり、本当の若者達が最も軽蔑するのは「もう教養小説は流行らない」として、おもねた作品を書こうとする態度であるだろう。
バブル崩壊後、この教養小説の問題も含めて、新しく文学復興の兆があることは、たとえば車谷長吉の『鹽壺の匙』などが評価されていることにも現われているが、幸田文学の掉尾を飾るこの『きもの』は、ここ数十年の物質万能の大衆社会の中でも、我が国の文学は生き続けていたことを証明するようである。
【この書評が収録されている書籍】
中央公論 1993年4月
雑誌『中央公論』は、日本で最も歴史のある雑誌です。創刊は1887年(明治20年)。『中央公論』の前身『反省会雑誌』を京都西本願寺普通教校で創刊したのが始まりです。以来、総合誌としてあらゆる分野にわたり優れた記事を提供し、その時代におけるオピニオン・ジャーナリズムを形成する主導的役割を果たしてきました。
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