書評
『悪童日記』(早川書房)
二十世紀の悪漢小説
小説を書いて、一冊の本になって世に出るのを夢みる。これは、人によってはとてつもなくふくらむ夢ともなる。作品は仕上がって手許にある。新人賞に応募するか。しかし、何千何万もの応募作の中から選ばれるなんて、ほぼ絶望的だ。伝手(つて)は? ない。有名出版社に送りつけるか。まず読んでもらえまい。手はない。一九五六年のハンガリー動乱の折、亡命してスイスの片田舎で暮らしていた一人の中年女性が、はじめて書いた小説をパリの三つの大手文芸出版社に、町の郵便局からいきなり送りつけた。数週間後、二社から出版拒絶の返事がきた。返事をもらえるだけでもましだ。ところが、残る一社が、いきなりこの無名外国人の処女作を無修正で出版することに決定したのだ。
こうしてアゴタ・クリストフの『悪童日記』が世に出ることになった。一九八六年のこと。
新刊書を一読して、掛け値なしで、傑作だ! と呼べる本はそうざらにはない。いまさらいうまでもないが、『悪童日記』は傑作だ!
戦争がはじまったため〈大きな町〉から、祖母のいる〈小さな町〉へ疎開してきた双子の〈ぼくら〉の冒険物語。背景となるのがヒトラーがらみの戦争だから深刻だが、これは一種の寓意小説で、ヒトラーの名もユダヤ人の名も国名、町名も直接には出てこない。登場人物たちにも名前がない。
双子のぼくらはまたたくまに怪物に変身してゆくが、これには、おじいちゃんを毒殺したという前科を持つ、おばあちゃんの有形無形の過酷きわまる教育によるところが大きい。
ぼくらは、彼女を「おばあちゃん」と呼ぶ。人々は、彼女を“魔女”と呼ぶ。彼女は、ぼくらを「牝犬の子」と呼ぶ。
ぼくらは飢えと迫害を生き抜こうとあらゆることをやる。体の鍛練のため、裸になって二人で痛くなくなるまでベルトで打ちあう。断食の訓練、不動・沈黙の術を身につける。精神の強化のために、あらゆる侮蔑の言葉を互いに投げつけあう。それから、屋根裏部屋でみつけた大辞典と聖書を徹底的に暗記する。
占領軍の言葉、ドイツ語を数週間でマスターする。新しい占領軍(ソ連軍)が来れば、これもまたたくまにマスターしてしまう。彼らは天才だ。しかもクローン人間のようにそっくりで、いつも二人だから、怖いものはない。恐るべき子供たち。
畑を耕し、漁をし、盗み、かっぱらいをやるが、兎唇(みつくち)の乞食の少女を励まし、両親を強制収容所に連行されたユダヤ人少女をかくまう。ぼくらは、怒りにかられると、冷静に人殺しもやる。
物語のラストで、ぼくら二人の身に起きることには、あっと驚かされるが、まだ読んでいない読者のために伏せておこう。
これを僕は、『ロビンソン・クルーソー』のような、隔絶した場所、島や谷間や〈小さな町〉での冒険物語の傑作として読んだ。また、十六世紀中ごろ、『ドン・キホーテ』の国、スペインに生まれた「悪漢小説」、表面無邪気をよそおいながら、底意地悪く、復讐心の強い、あらゆる法律を軽蔑し、そのくせ同情心もかねそなえた子供の冒険を描いた小説ジャンルのひとつ、悪漢小説の系譜につながるものとしても読んだ。
その代表作は、作者不詳の『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』だが、これが意外なほどヨーロッパの小説に深い影響を与えている。デフォー、ディケンズなどがそうだ。二十世紀の悪漢小説の傑作は、無名の、しかも女性の手によって生み出された。
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