書評
『世界人名ものがたり―名前でみるヨーロッパ文化』(講談社)
「シェーン」はどこから来たのか
欧米人の姓名のうち「姓」はかなり多様だが、「名」つまり洗礼名のほうはキリスト教の聖人や聖書の人名から選んだものなので、数は限定されているといわれる。しかし、ではそれらの聖人や聖書の人名はどこから来ているのかと問われると、そのとたんに答えに窮する。本書は語源の専門家である著者が、ヨーロッパの人名のルーツを、ユダヤ、ギリシャ・ローマ、ゲルマン、ケルトなどの民族的な古層にまで分け入って調べあげ「ヨーロッパ人の心の襞(ひだ)」を探った試みである。
まずユダヤ・キリスト教起源の名前から行くと、その代表例が英米人に一番多いジョンである。このジョンは当然、洗礼者ヨハネから来ているが、そのヨハネはヘブライ語で「ヤーウエ(神)は恵み深きかな」という意味だという。これがキリスト教の布教で広がってジャン(仏)、ジョヴァンニ(伊)、ヨハン(独)、イアン(露)となったのだが、著者の指摘で興味深いのは、アイルランドではヨハネがシャーンと変わり、それがアイルランド人のアメリカ移住にともなって英語風綴りに変化して「シェーン」となったという点である。映画『シェーン』の主人公は先着のイギリス人の差別と戦い、心ならずもガンマンとなった貧しいアイルランド移民のヒーローだったのである。
これに対してギリシャ起源なのはフランス人に多いフィリップである。フィリップは聖書の十二使徒の一人フィリポから来ているが、そのフィリポはギリシャ系の名前で「馬を愛するもの」という意味。これは馬の神ポセイドンに由来する。同じく、ジョージ(ジョルジュ、ゲオルク)は龍退治の聖ゲルギオスに倣ったものだが、このゲルギオスはギリシャよりもさらに古いシュメール神話の治水の神エンキムドゥに起源をもっている。してみると、龍は氾濫する大河のことか。
いっぽう、ゲルマン起源なのは王様に多いルイ、チャールズ、ヘンリー、ウィリアムなどの名前である。たとえば、フランスの王の伝統的な名前ルイは古高地ドイツ語Hluodowigが古フランス語のLoeisとなってLouisとなったもの。同じくチャールズは古高地ドイツ語で男・穀物・農夫を意味するkarl、ヘンリーは「家の支配者」のHeimrich、ウィリアムは「強い守護者」の意のWillahelmからそれぞれきている。
またブリジット、アーサー、ブライアンなどはケルト起源の名前である。
ところで、こうした名前にも長い目で見ると流行があり、まず中世前期はキリスト教の使徒の名前が多かったが、後期になると十字軍の戦士の王や司教にあやかったゲルマン名前がはやり、さらに十九世紀に民族主義が高まると、イギリスではアルフレッドやアーサー、アイルランドではブライアンやブリジット、ドイツではルードヴィッヒやシャルロッテなど神話的・歴史的な名前が愛国心を鼓舞した。
この名前の流行という点で蒙(もう)を啓(ひら)かれたのは、宗教改革が到来した時、プロテスタント圏では大天使ミカエルに由来するマイケルという名前がカトリック的な名として避けられたのに対して、カトリックの多いアイルランドでは逆に最も人気が出て、アイルランド人を象徴する名前になり、さらにその愛称のミッキーがアイルランド人の蔑称にさえなったという指摘である。アイルランド移民のディズニーの創造した「ミッキー・マウス」
は、この蔑称を逆手に取ったキャラクターだったわけである。ちなみに相棒「ドナルド・ダック」のドナルドもアイルランド人やスコットランド人に多いケルト起源の名前である。
【新版】
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする