書評
『ティモレオン―センチメンタル・ジャーニー』(中央公論新社)
「!」と心臓を鷲掴みにされて、頭には渦巻く「?」が……。おっどろくよお、二四七ページ(ALL REVIEWS事務局注:本書評対象は単行本版)。でもって、身体は憤怒に震え、双眸(そうぼう)からは涙が溢れ出し、茫然自失に至ること間違いなし。でも、やがて日が経つにつれ、心の中にしっかりと根を張り、折に触れては思い返さずにはいられなくなるのだ、この『ティモレオン』という物語は。
一九六〇年代にはロンドンでも有名な売れっ子作曲家だったのに、ある失態が原因で、今ではイタリアの片田舎で隠遁生活を余儀なくされている老人コウクロフト。唯一の友といえば、少女の瞳のように愛らしい目を持つ雑種犬ティモレオン・ヴィエッタだけだった。さて、ある日ボスニアから来たと称するハンサムな青年が訪ねてくる。ティモレオンは唸(うな)り声を発してその危険性を飼い主に知らせようとするのだけれど、美青年に目がないコウクロフトは彼を同居させてしまう。互いを毛嫌いするボスニア人とティモレオン。やがて青年はコウクロフトに迫る。自分を取るか、犬を取るか、どっちかに決めろと。泣く泣く愛犬をローマのコロシアム前に捨ててしまう老人。ここから名犬ティモレオンの我が家を目指す長い旅が始まる――と聞けば、誰だってディズニー映画の『三匹荒野を行く』みたいな感動の再会劇を期待するでしょ? 重度のケモノバカならこの時点ですでに涙が溢れてくるかもしれない。が、しかしっ!
ここまでが第一部。第二部に入ると、ティモレオンが旅の途上ですれ違った人々にまつわるエピソードが綴られていく。このパートが素晴らしい。特に聾唖の娘と不良少年の出会いを描いた挿話「ジュゼッペまたはレオナルド・ダ・ヴィンチ」は、世界文学の年間短編小説ベスト集が編まれれば、必ずや入るほどの逸品だ。言い伝えどおりの恋に落ちた二人、彼女の影響から真面目に働くようになり、この愛は生涯にわたって色あせないと信じた少年、言い伝えに逆らおうとする向学心の強い少女。やがて迎える凄絶な悲劇と皮肉な結末。ソフトな語り口で描かれるキツーイ愛の寓話、そのギャップが衝撃を生み、いつまでも消えない余韻を残すのだ。
この小さな物語といい、ティモレオンの運命といい、クソッタレなボスニア人や愚かな老人コウクロフトの処遇といい、作者ダン・ローズは読者の「こうなってほしい」なんて甘い期待をことごとく裏切る。小説の全編を貫いているのは、生と死の不条理であり、現実の残酷であり、愛の欺瞞であり、人間のエゴなのだ。だから一読、読者は激しく打ちのめされる。でも、しばらくするとその救いのなさの圧倒的な現実味に、深く深くうなずかされてしまうのだ。言ってみれば、これは寓話のトーンで語られたハイパーリアリズム小説に違いない。とんでもなく不埒な傑作が生まれたものだ。
【この書評が収録されている書籍】
一九六〇年代にはロンドンでも有名な売れっ子作曲家だったのに、ある失態が原因で、今ではイタリアの片田舎で隠遁生活を余儀なくされている老人コウクロフト。唯一の友といえば、少女の瞳のように愛らしい目を持つ雑種犬ティモレオン・ヴィエッタだけだった。さて、ある日ボスニアから来たと称するハンサムな青年が訪ねてくる。ティモレオンは唸(うな)り声を発してその危険性を飼い主に知らせようとするのだけれど、美青年に目がないコウクロフトは彼を同居させてしまう。互いを毛嫌いするボスニア人とティモレオン。やがて青年はコウクロフトに迫る。自分を取るか、犬を取るか、どっちかに決めろと。泣く泣く愛犬をローマのコロシアム前に捨ててしまう老人。ここから名犬ティモレオンの我が家を目指す長い旅が始まる――と聞けば、誰だってディズニー映画の『三匹荒野を行く』みたいな感動の再会劇を期待するでしょ? 重度のケモノバカならこの時点ですでに涙が溢れてくるかもしれない。が、しかしっ!
ここまでが第一部。第二部に入ると、ティモレオンが旅の途上ですれ違った人々にまつわるエピソードが綴られていく。このパートが素晴らしい。特に聾唖の娘と不良少年の出会いを描いた挿話「ジュゼッペまたはレオナルド・ダ・ヴィンチ」は、世界文学の年間短編小説ベスト集が編まれれば、必ずや入るほどの逸品だ。言い伝えどおりの恋に落ちた二人、彼女の影響から真面目に働くようになり、この愛は生涯にわたって色あせないと信じた少年、言い伝えに逆らおうとする向学心の強い少女。やがて迎える凄絶な悲劇と皮肉な結末。ソフトな語り口で描かれるキツーイ愛の寓話、そのギャップが衝撃を生み、いつまでも消えない余韻を残すのだ。
この小さな物語といい、ティモレオンの運命といい、クソッタレなボスニア人や愚かな老人コウクロフトの処遇といい、作者ダン・ローズは読者の「こうなってほしい」なんて甘い期待をことごとく裏切る。小説の全編を貫いているのは、生と死の不条理であり、現実の残酷であり、愛の欺瞞であり、人間のエゴなのだ。だから一読、読者は激しく打ちのめされる。でも、しばらくするとその救いのなさの圧倒的な現実味に、深く深くうなずかされてしまうのだ。言ってみれば、これは寓話のトーンで語られたハイパーリアリズム小説に違いない。とんでもなく不埒な傑作が生まれたものだ。
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