書評
『シュニッツラーの世紀―中流階級文化の成立1815‐1914』(岩波書店)
妖しく甘美な昔日の世界
ヴィクトリア時代の中流階級文化は、偽善と抑圧をキーワードに語られることがおおい。ピアノの脚に布や紙で覆いをしたのも、女性の脚を連想させるからだ、などと。だからこそ、神経症と不安の文化(フロイト)とされてきた。ところが本書―ヴィクトリア時代は十九世紀西洋文明全体の呼称―を読むと、そんなイメージは杜撰(ずさん)な裁断ではないかと思い知らされる。十九世紀半ばをすぎたころ、アメリカの教養ある妻は夫宛の手紙にこう書いているのである。「次の土曜日にあなたの溜まっているものを出してあげます」と。ヴィクトリア時代の中流階級が積極的な性生活をいとなんでいたことが多くのデータと資料によって証言されている。
性だけでなく、攻撃衝動、不安、宗教、労働、趣味、プライバシーの深層心理が暴かれている。中心となる資料は、「恋愛三昧」などの小説家で、フロイトにわが分身といわしめたアルトゥア・シュニッツラー(一八六二~一九三一)の日記である。同時に十九世紀欧米の文学、音楽、絵画をめぐる評論から、書簡、伝記、生き方読本、礼儀作法書までからのめくるめくような博覧強記にもとづく証言が繰り出される。教会の教えやしきたりではなく、ブルジョアの生活と精神の実相が解明される。かくてヴィクトリア時代人が「上品ぶり」の同義語だとすると、「ヴィクトリア時代人は『ヴィクトリア時代人』ではなかった」(四九頁)とされる。中流階級文化は単数ではなかったとも。
たぐい稀(まれ)なる漁色家であったシュニッツラーが数年にわたってオルガスムを丹念に記録し、「月末にはその総計を勘定」(七〇頁)していたという性的業績主義のくだりなどに出くわすと、ロマン主義的愛に縁どられ、性が聖礼とされた(脱官能化)というヴィクトリア中流文化の通念が揺らぐことはたしかだ。訳文は達意流麗。昔日の世界が妖(あや)しくも甘美に立ち昇ってくる。田中裕介訳。
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