書評
『ケルトの想像力 ―歴史・神話・芸術―』(青土社)
ヨーロッパ文明文化の根源を再考
半世紀以上も前からフランスを中心にしてヨーロッパで愛読されている漫画『アステリックス』がある。ガリアとよばれた古代フランスを征服しようとする勇将カエサル率いるローマ軍にあくまで抵抗するケルト人の物語である。オーストリアのハルシュタット湖畔にある岩塩採掘跡地から前九~八世紀の初期鉄器遺物が発見され、ケルト文明発祥の地と言われる。この文化を携えた人々は西や南に移動し、やがて前四~三世紀にはギリシャ人やローマ人の勢力に押さえこまれながら古層文化として潜んだ。
ケルト人は、ローマ側から語られることが多いが、ガリアを中心とする西ヨーロッパの西端部にはケルト文明が生きつづけた。ただし、十九世紀の国民国家形成期のフランスでは、「雄々しく気骨がある国民性」を謳(うた)う余り、毅然(きぜん)としたケルト人の姿がシンボル化したらしい。
しかし、現実には、「大陸のケルト」はローマ帝国の支配下で背景に退き、ガリア語は古代末期には消滅する。それとともに、アイルランド、ブルターニュなどの「島のケルト」では、ケルト人の伝説が育まれ、それは中世ヨーロッパの「大陸」でも華やかに蘇(よみがえ)ることになる。
ケルト人の自然信仰は現在ではハロウィーンのなかにも生き残っている。一年のなかで嵐のような混沌(こんとん)の時空を経て十一月一日に「新しい秩序」がもたらされる。その新年のイヴがハロウィーン祭であり、その精霊崇拝から暦の秩序も生まれる。
現代人にはぬいぐるみでしかない動物だが、古代人はその不思議な力を畏怖(いふ)する想像力があった。ケルト人も動物を神々に等しいものと見なし、それは人間中心主義への批判として数多くの美術に描かれている。映画の「ロード・オブ・ザ・リング」には龍(ドラゴン)と闘う英雄の物語があるが、それも北欧神話からケルト神話へと遡(さかのぼ)ることができる。
ケルト社会にはドルイドとよばれる祭司階級があり、ギリシャ・ローマ人からは「魔術師(マゴイ)」とよばれていたらしい。しかし、近代人は「高貴なる野蛮人」として想像し、「原始的異境」を理想化しようとする思想の伝統すら感じさせる。もともとドルイドは霊能と知恵をそなえた「樫(かし)の木の賢者」の意であるから、キリスト教の浸透の影でも人々の心をとらえる力をひめていたのだ。
ケルトの神話・伝説は、印欧世界に共通する観念の宝庫であるばかりか、ユーロ=アジアで共有される結びつきのなかで形成されたと思(おぼ)しきものもあるという。かの『アーサー王伝説』は、北東イラン語系騎馬民族スキタイやサルマタイの英雄神話が核となると指摘する研究も出ている。アーサー王の「石から抜かれた剣」の物語も「神の象徴として剣を崇拝する」草原文化に遡ることができるという。ヨーロッパの形成が民族移動の混乱と深く関わっていたのだから、世界史のなかのケルト文明はことさら意味深いものを示唆しているかのようだ。
アイルランドは「古代ローマ人による征服はなかった」と謳(うた)っている。ここでは地中海系の聖書写本ではなく文様を基軸とするケルト装飾美術の伝統が育まれ、九世紀初頭の『ケルズの書』という装飾写本で頂点を極めたことは特筆すべきだろう。
最後に、著者は、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、コーンウォール、マン島、ブルターニュなどの各地を旅しながら、「ケルト文化圏」の魅力へと誘(いざな)うことも忘れない。
ケルト文明研究の泰斗である著者の手で縦横無尽に解説されており、ヨーロッパ文明文化の根源を再考する絶好の書物にめぐり合えたことを喜びたい。
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