書評
『新解さんの謎』(文藝春秋)
三省堂から出ている『新明解国語辞典』が怪しいとは、かねがね耳にしていたのだけれど、これほどまでにおかしみと深みに満ちた一冊だったとは! わたしは今、自身の不明を激しく恥じている。すまなかった、新解さん。
さて、「新解さん」とは本書の筆者である赤瀬川原平氏とその若い友人・SM嬢(といってもムチを持つ職業婦人というわけではなく、名前の頭文字だそうな)が、『新明解国語辞典』につけた愛称だ。辞典を擬人化するなんて――と眉をひそめる人だって、本書を読めば二人が親しみをこめてそう呼ぶ気持ちがきっとわかるはず。新解さんたら、辞典ばなれして自己主張というか個性の際立ったお方なんだから。
たとえば「世の中」の語義。「同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら一方では持ちつ持たれつの関係にある世間」ですよ、ア~タ。もうなんというか、言葉というものを絶対的に解明せんという強すぎる意志と野望に満ち満ちた解釈なんである。ナニもここまで、ねえ。
赤瀬川氏とSM嬢が看破しているとおり、新解さんは「攻めの辞書」なのだ。普通、辞書というものは識者や辞書マニアからミスを指摘されるのを怖がって、解釈を無難におさめるものなのに、新解さんはそんなもんまるで気にしない。そこがいい。すがすがしい。
かと思えば「よもや」における用例文はというと「世間にはいろいろな人間がいるし、――と思うような出来事があるもんだ、ほんとだぜ小屋頭(こやがしら)」。ほんとだぜときて、小屋頭とくる。「ほお、そうくるか、新解さん」と応じたくなるほどお茶目な用例でしょ、これって。
「動物園」の語義に至っては、「生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設。……」と怒りの表明までしてみせるんである。ああ、なんて人間的な新解さん。
こうした新解さんの人間像(?)に、実に絶妙なスタンスで迫っていく赤瀬川氏とSM嬢の掛け合いがまた楽しい。観察と事物解釈と面白がりの天才・赤瀬川原平、面目躍如の一冊。この本を愉しめない人はちょっとどうかと思う、それほどまでに愉快な本だ。読もう!
【この書評が収録されている書籍】
さて、「新解さん」とは本書の筆者である赤瀬川原平氏とその若い友人・SM嬢(といってもムチを持つ職業婦人というわけではなく、名前の頭文字だそうな)が、『新明解国語辞典』につけた愛称だ。辞典を擬人化するなんて――と眉をひそめる人だって、本書を読めば二人が親しみをこめてそう呼ぶ気持ちがきっとわかるはず。新解さんたら、辞典ばなれして自己主張というか個性の際立ったお方なんだから。
たとえば「世の中」の語義。「同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら一方では持ちつ持たれつの関係にある世間」ですよ、ア~タ。もうなんというか、言葉というものを絶対的に解明せんという強すぎる意志と野望に満ち満ちた解釈なんである。ナニもここまで、ねえ。
赤瀬川氏とSM嬢が看破しているとおり、新解さんは「攻めの辞書」なのだ。普通、辞書というものは識者や辞書マニアからミスを指摘されるのを怖がって、解釈を無難におさめるものなのに、新解さんはそんなもんまるで気にしない。そこがいい。すがすがしい。
かと思えば「よもや」における用例文はというと「世間にはいろいろな人間がいるし、――と思うような出来事があるもんだ、ほんとだぜ小屋頭(こやがしら)」。ほんとだぜときて、小屋頭とくる。「ほお、そうくるか、新解さん」と応じたくなるほどお茶目な用例でしょ、これって。
「動物園」の語義に至っては、「生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設。……」と怒りの表明までしてみせるんである。ああ、なんて人間的な新解さん。
こうした新解さんの人間像(?)に、実に絶妙なスタンスで迫っていく赤瀬川氏とSM嬢の掛け合いがまた楽しい。観察と事物解釈と面白がりの天才・赤瀬川原平、面目躍如の一冊。この本を愉しめない人はちょっとどうかと思う、それほどまでに愉快な本だ。読もう!
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初出メディア

チッタ(終刊) 1996年10月号
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