書評
『ムシェ 小さな英雄の物語』(白水社)
移民や難民支えた庶民たちの叙事詩
日本の文学を読んでいて、常々、決定的に欠けていると感じる分野がある。移民や難民の小説である。在日朝鮮人だけでなく、日本には少なくない数の、ルーツを異にする移民、難民が存在しているのは、最近のスポーツ界や芸能界でその二世たちが活躍しているのを見てもわかるだろう。目に見える氷山の一角の下には、その何倍もの本体がある。90年代ごろからは、日本語ネイティブではない書き手たちの小説が登場しているが、まだ多様な移民難民の表現を実現できているとは言いがたい。そのことと、日本社会が移民難民に対してどこか他人事のような態度を取り続けることは、深く関係していると思う。
海外の優れた現代文学に目を向けると、移民難民をテーマや題材とした作品の何と多いことか。当然である。必ずしも自らの意思ではない数多の移住が、現代世界の歴史を作ってきたのだから。
『ムシェ』が扱うのは、まさにそんな難民の歴史である。小説に書かれなければ、誰も知らない。なぜなら、バスクというマイナーな民族の出来事だから。
スペイン内戦期に、ファシストに倒されたバスク自治政府は、ジェノサイドを逃れるため、バスク人の子ども約2万人を船で他国へ逃したという。リベラルな理想家のベルギー人作家ロベールは、その一人カルメンチュを養子として迎え入れた。だがカルメンチュはバスクへ戻され、音信不通となる。ロベールは結婚して娘をもうけ、彼女の名前をとってカルメンと名づける。幸福な日々もつかの間、ベルギーはナチスに占領されてしまう。ロベールは家族と離れてレジスタンスに身を投じ、行方不明になる。半世紀以上がたってから、カルメンはふとしたきっかけで父の歴史を知り、カルメンチュのその後を知ることになる。
実在の人物たちを描いたこの小説は、評伝ではなく、無名の庶民の叙事詩である。時間や場面は断片化してちりばめられ、伝説の場面のように語られていく。バスク語作家の著者ウリベは特に、フラマン語というやはり迫害された少数言語の書き手だったロベールと、その親友の作家ヘルマンに、同一化していく。事実を書きながら、空白の部分を、まるでロベールとヘルマンを生き直しているかのようなウリベ自身の人生で埋めていく。見知らぬ他人の歴史を書くことが自分を書くことになるという、奇跡のような合致のもとで誕生した作品なのである。
ウリベはまた、そのまま亡命してバスクに戻らなかった世界中のバスク人と、かれらを受け入れた世界中のロベールを、この小説で書こうとしたのだろう。その英雄たちの存在の証として。
朝日新聞 2016年1月31日
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