本文抜粋
『りん語録』(集英社)
りんごに魅せられた作家が旅で出会った言葉をふりかえる
りんごは大抵、「りんご」としか書かれていない。色すらも描写されていないことが多く、その場合は赤いりんごが想定されているのであろう。日本の作品だと、「青りんご」だけは特別そう書かれていることが多いような気がするが、海外の小説の場合は、たぶんりんごと書かれているのは、小ぶりで酸味の強い青りんごのことなのだろうな、などと旅先での記憶から勝手に想像している。最近では、島崎藤村の「初恋」というあの有名な詩に出てくるりんごが一体、何りんごなのかとても気になっている。
〈まだあげ初めし前髪の林檎のもとに見えしとき〉
〈やさしく白き手をのべて林檎をわれにあたへしは〉
まだ、前髪を結ったばかりの少女と“われ“は、りんごの樹を前にしている。林檎に白い手をかけて、少女がわれに林檎をくれた。
少女はひじょうに初心(うぶ)なようで、この詩では後半にこんな一節にも出会う。
〈林檎畑の樹の下におのづからなる細道は誰が踏みそめしかたみぞと問ひたまふこそこひしけれ〉
林檎畑に自然とできた細い道、それは二人がいつもここで待ち合わせをしているからできた道だ。その道がどうしてできたと思う?と、少女がわれに問いかけて、われは少女を恋しく思う。
そんな思わせぶりなやり取りが、「初恋」では詠まれている。以後の藤村のある種苛烈な恋愛遍歴を思うと、女性への鮮やかなとらえ方に感じ入るところのある「初恋」の印象的な一節だ。
この詩は藤村の第一詩集『若菜集』に収められているが、発表年は明治二十九年である。舞台は、故郷の岐阜なのだろうか。
日本の西洋りんごは明治初期にはすでに普及が始まっているので、これが「紅絞(べにしぼり)」などの西洋りんごである可能性もないわけではないのだが、私には少女が手にかけたのは、そんなに大きくなかったもののように思える。もともと日本にあった和りんごは、小さくて赤い。どちらかといえば観賞用だ。そのりんごであるような気がする。
[書き手] 谷村志穂
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