書評
『灰色の魂』(みすず書房)
以前、某ミステリー評論家にこんなことを言われたことがあります。「お前はさあ、文章がまずいだの、文体意識が低すぎるだの、何だかんだ細かいことにうるさすぎるんだよ。ミステリーはプロットと謎解きとキャラクター造形が面白ければ、それでいいのっ」。もちろん、そんなことはありません。ミステリー作品の中にも、トマス・H・クックはじめ、味わい豊かで内省的な文体を備えた美しい作品はちゃんと存在するんですから。
たとえば、フィリップ・クローデルの『灰色の魂』を開いてみて下さい。凍えるような冬のある朝、川辺で十歳の美少女の死体が発見されます。第一次世界大戦下、フランスの小さな町で起きた殺人事件を語り起こすのは「私」です。どういう理由なのか、二十年間もその謎をオブセッションのように抱え続けた「私」が、事件に関わった人たちに聞いた話から導き出した意外な真実。読者は、それを書きつけたノートを読んでいる――というスタイルを取った小説なのです。
料理屋の娘で町の人気者だった少女。城に住む名士にして、狂うことのない発条(ぜんまい)時計のように職務を遂行することで知られる検察官デスティナ。城の庭にある貸し家に住む美貌の教師リジア。少女の死体が見つかった翌日に死んでしまう「私」の妻。少女殺しの罪をきせられて死刑になった脱走兵。
本当は誰が少女を殺したのか。何のために殺したのか。「私」は何者なのか。解決したことになっている殺人事件にこだわり続ける理由は何なのか。そうした疑問は、少しずつ、本当に少しずつ明らかにされていきます。そして、その過程で浮かび上がってくるのは三つの息苦しいほど悲しく切ない愛の物語なのです。結婚早々に失った若い妻へのデスティナの深く静かな愛。「私」が亡き妻に傾け続ける一途な愛。戦地に赴いた恋人の安否を気づかうリジアの純愛。それぞれの愛がもたらす取り返しのつかない痛ましい悲劇。容認しがたいほど皮肉な殺人事件の真相。
白黒をつけられない人間の心と、灰色の魂が映し出す人生の幻影を描いて苦い後味を残す素晴らしい文学作品なのです。
【この書評が収録されている書籍】
たとえば、フィリップ・クローデルの『灰色の魂』を開いてみて下さい。凍えるような冬のある朝、川辺で十歳の美少女の死体が発見されます。第一次世界大戦下、フランスの小さな町で起きた殺人事件を語り起こすのは「私」です。どういう理由なのか、二十年間もその謎をオブセッションのように抱え続けた「私」が、事件に関わった人たちに聞いた話から導き出した意外な真実。読者は、それを書きつけたノートを読んでいる――というスタイルを取った小説なのです。
料理屋の娘で町の人気者だった少女。城に住む名士にして、狂うことのない発条(ぜんまい)時計のように職務を遂行することで知られる検察官デスティナ。城の庭にある貸し家に住む美貌の教師リジア。少女の死体が見つかった翌日に死んでしまう「私」の妻。少女殺しの罪をきせられて死刑になった脱走兵。
本当は誰が少女を殺したのか。何のために殺したのか。「私」は何者なのか。解決したことになっている殺人事件にこだわり続ける理由は何なのか。そうした疑問は、少しずつ、本当に少しずつ明らかにされていきます。そして、その過程で浮かび上がってくるのは三つの息苦しいほど悲しく切ない愛の物語なのです。結婚早々に失った若い妻へのデスティナの深く静かな愛。「私」が亡き妻に傾け続ける一途な愛。戦地に赴いた恋人の安否を気づかうリジアの純愛。それぞれの愛がもたらす取り返しのつかない痛ましい悲劇。容認しがたいほど皮肉な殺人事件の真相。
「真っ黒だとか、真っ白なものなんてありゃしない、この世にはびこるのは灰色さ。人間も、その魂も同じことさ……。あんたは灰色の魂、みごとに灰色、みんなと同じようにね……」
白黒をつけられない人間の心と、灰色の魂が映し出す人生の幻影を描いて苦い後味を残す素晴らしい文学作品なのです。
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