書評
『海の水位の科学史: 基準点0をめぐる不安定な歴史』(青土社)
わたしたちは陸上のあらゆる地点の高さを示すとき、「標高」や「海抜」という数値を用いる。
海をゼロメートルとみなして、そこからの高さを言うのだ。けれどよく考えてみれば、海はいつも揺らいでいる。そのうえ、標高の基準となる海面の高さは、世界の海域ごとに異なる。
では、地球で最も高い山の標高などは、いったいどこをゼロという基準点にして測られた高さなのか? そして、常に揺れ動く海面がなぜ、陸上のあらゆる地形を測るための基線になったのか?
地表の高さを測るという行為は、実は不思議な基準点「ゼロ」をめぐる営みでもある。その歴史を縦横無尽に探索する本書は、他に類書のない一冊だ。
フレンチ・リヴィエラの海岸と、イタリアのドロミテ山脈を行き来しながら過ごしていた、ある楽しい夏の日。トレッキング先の山道で仲間たちと休憩中、それぞれが持つ高度計の数値の違いがきっかけになって本書の構想を思いついた、と著者はいう。
さて、日本でいう標高とは、東京湾の平均海面をゼロメートルとした場合の高さである。諸国ではどうだろうか。西ヨーロッパの国々では、500年ほど前に基線とされたオランダ・アムステルダムの平均海面を用いる。イギリスでは大西洋に面するニューキーの港、フランスでは地中海のマルセイユ、ロシアではバルト海、アフリカのケニアやタンザニアではインド洋、中国では黄海…と、それぞれ身近にある海を基準点にしている。しかし、それらの海面は決して相互に同じ高さではない。地球がもつ重力のムラによる海面の凹凸、潮流や海の水温・塩分に由来する海水の盛り上がりなどが理由だ。
世界の高さを測るための「ゼロ」という基線は、技術的・文明的に構築された抽象概念なのだ。
海の平均水位、という概念は、啓蒙時代を受け継ぐ18世紀後半から、軍事と世界交通の19世紀を特徴づける、国際的な定量化という夢の一つだ。高さを測るために元々使われてきたばらばらの基線や基準点(とある教会の入口、ということもあったらしい)を、異なる海をまたぐ仮の「普遍」へと接続するうえでは、遠く離れた植民地の開発や、世界をより短時間でつなぐためのスエズ運河やパナマ運河といった巨大インフラの建設など、経済や政治上の要請があった。
このようにしていったんは変わらぬ普遍的な「ゼロ」地点として措定された平均海面だが、温暖化による海面上昇局面を迎えたこの人新世において、それは変容するアクチュアルな対象となっている。
不安定な「ゼロ」の創造の歴史は、まずもって科学の冒険譚である。さらにそれは、環境というものを有用に利用するため人間がどんな文化技術を用いてそれを単純化してきたかや、限られた抽象概念がいつしか世界を測る基準へと転じ、固定化されてきたのかを教えてくれる。
高さにおけるゼロメートルをどう決めるかはいまも国家の政治事項であり、国際的な基準座標系の設定は途上にあるという。ノアの大洪水後に海は引いていったのだから、海面は下降し続けているというのが19世紀初頭までの学説だったというのも面白い。
[書き手]
松田法子(まつだ・のりこ)
京都府立大学大学院生命環境科学研究科准教授。建築史・都市史。
集落・まち・都市・建築などを介して、人と大地の関係を考えている。人類による生存環境構築の長期的歴史を探り、今後のありうべき構築様式を考える「生環境構築史」のほか、水と陸地の間の領域を対象とする「汀の人文史」などのテーマで研究活動を行う。
主な著作に『危機と都市』、『戦後空間史──都市・建築・人間』、『東京水辺散歩』、『渋谷の秘密』など。
海をゼロメートルとみなして、そこからの高さを言うのだ。けれどよく考えてみれば、海はいつも揺らいでいる。そのうえ、標高の基準となる海面の高さは、世界の海域ごとに異なる。
では、地球で最も高い山の標高などは、いったいどこをゼロという基準点にして測られた高さなのか? そして、常に揺れ動く海面がなぜ、陸上のあらゆる地形を測るための基線になったのか?
地表の高さを測るという行為は、実は不思議な基準点「ゼロ」をめぐる営みでもある。その歴史を縦横無尽に探索する本書は、他に類書のない一冊だ。
フレンチ・リヴィエラの海岸と、イタリアのドロミテ山脈を行き来しながら過ごしていた、ある楽しい夏の日。トレッキング先の山道で仲間たちと休憩中、それぞれが持つ高度計の数値の違いがきっかけになって本書の構想を思いついた、と著者はいう。
さて、日本でいう標高とは、東京湾の平均海面をゼロメートルとした場合の高さである。諸国ではどうだろうか。西ヨーロッパの国々では、500年ほど前に基線とされたオランダ・アムステルダムの平均海面を用いる。イギリスでは大西洋に面するニューキーの港、フランスでは地中海のマルセイユ、ロシアではバルト海、アフリカのケニアやタンザニアではインド洋、中国では黄海…と、それぞれ身近にある海を基準点にしている。しかし、それらの海面は決して相互に同じ高さではない。地球がもつ重力のムラによる海面の凹凸、潮流や海の水温・塩分に由来する海水の盛り上がりなどが理由だ。
世界の高さを測るための「ゼロ」という基線は、技術的・文明的に構築された抽象概念なのだ。
海の平均水位、という概念は、啓蒙時代を受け継ぐ18世紀後半から、軍事と世界交通の19世紀を特徴づける、国際的な定量化という夢の一つだ。高さを測るために元々使われてきたばらばらの基線や基準点(とある教会の入口、ということもあったらしい)を、異なる海をまたぐ仮の「普遍」へと接続するうえでは、遠く離れた植民地の開発や、世界をより短時間でつなぐためのスエズ運河やパナマ運河といった巨大インフラの建設など、経済や政治上の要請があった。
このようにしていったんは変わらぬ普遍的な「ゼロ」地点として措定された平均海面だが、温暖化による海面上昇局面を迎えたこの人新世において、それは変容するアクチュアルな対象となっている。
不安定な「ゼロ」の創造の歴史は、まずもって科学の冒険譚である。さらにそれは、環境というものを有用に利用するため人間がどんな文化技術を用いてそれを単純化してきたかや、限られた抽象概念がいつしか世界を測る基準へと転じ、固定化されてきたのかを教えてくれる。
高さにおけるゼロメートルをどう決めるかはいまも国家の政治事項であり、国際的な基準座標系の設定は途上にあるという。ノアの大洪水後に海は引いていったのだから、海面は下降し続けているというのが19世紀初頭までの学説だったというのも面白い。
[書き手]
松田法子(まつだ・のりこ)
京都府立大学大学院生命環境科学研究科准教授。建築史・都市史。
集落・まち・都市・建築などを介して、人と大地の関係を考えている。人類による生存環境構築の長期的歴史を探り、今後のありうべき構築様式を考える「生環境構築史」のほか、水と陸地の間の領域を対象とする「汀の人文史」などのテーマで研究活動を行う。
主な著作に『危機と都市』、『戦後空間史──都市・建築・人間』、『東京水辺散歩』、『渋谷の秘密』など。
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