解説
『「母になること」とメンタルヘルス: 産後うつと母性の現代史』(青土社)
〜本書の解題「からまりあう歴史から生存の政治へ」を一部抜粋し、掲載いたします〜
小さな赤ちゃんが目の前にいて、その世話をしなければいけないのに、身体が重くて頭がぼうっとして、何をどうすればいいのか、涙がとまらず、悪い考えばかりが浮かんでくる——その経験は当事者にとって、「ブルー」どころか漆黒の闇である。本書 Blue : A History of Postpartum Depression in America by Rachel Louise Moran (The University of Chicago Press, 2024)は、現在は「産後うつ」と呼ばれているこの状態が、戦後アメリカの異なる時代状況においてどう名づけられ、どう処置されてきたのか、あるいは無視され軽視されてきたのかをたどる。それまで見えなくされていた事象が可視化され言語化されるとき、それは誰によって、誰の言語でなされるのか。そこで力を有するのは誰か、奪われているのは誰か。
しかしその進化の歴史は、一直線には進まない。本書を貫くより重要な軸は、産後うつを経験した女性たちによる権利獲得運動の軌跡である。言い換えれば、「産後うつ」は、医療の言語だけでなく女性たち自身の声とアクションによってもかたちを与えられてきた。本書がたどるのは、そのふたつの軸がからまりあう、言説的構築の歴史である。
一九六〇―七〇年代、暗闇のなかからどうにか抜け出した女性たちが、自宅の固定電話で連絡をとりあって誰かの家に集まり、それぞれの産後の経験や感情を共有し話しあう、コンシャスネス・レイジング(CR)の活動を始めた。キッチンテーブルでフライヤーやニューズレターを書き、封筒に入れて切手を貼って郵送し、そうして始まった草の根の活動は地域に広まり、やがて州を、そしてアメリカ全土を覆うネットワークへと発展する。産後うつ支援団体(Depression After Delivery 一九八五年設立)や国際産後支援協会(Postpartum Support International 一九八七年設立)などの組織は、当事者によるピアサポートを基盤に、情報提供や相談支援、専門家との連携を進め、産後うつを社会的に可視化していった——
まさに、「わたしたちの身体・わたしたち自身 Our Bodies, Ourselves」(一九七一年にボストンの女性団体が出版した書籍タイトル)を取り戻す闘いである。
一九八〇年代には、前述の『精神疾患の診断・統計マニュアル』の分類改訂において女性運動家と医療専門家との共闘が進み、女性たちは自らの個人的な経験こそが臨床データとして正当であり重要であると主張した。また一九八〇年代後半から一九九〇年代にかけては、産後サポートに特化したセラピストという専門職が生まれる。もともと心理学的背景を持ち、自らも出産後につらい時期を過ごした女性たちが職業としてこの分野に参入していったのである。さらに一九九〇年代以降になると、女性運動の内部に存在していた差異と格差が顕在化する。アフリカン・アメリカンやヒスパニックの女性たち、さらにはLGBTQ+の経験が周縁化されてきたことへの批判が高まり、運動はより包摂的な方向へと再編されていく。
この背後には、戦後アメリカの社会政治的背景というもうひとつの軸がある。産後うつをめぐる社会運動は、ジェンダー、フェミニズム、家族、そして母をめぐる社会的・政治的言説につねにさらされ、時に翻弄されてきた。一九七〇年代は、第二波フェミニズムの社会的潮流のなかで女性たちが「個人的なことは政治的なこと」というスローガンやCRといった手段を手にし、伝統的な性役割を瓦解させるべく立ち上がった時期だ——女たちが苦しいのは女たちのせいではなく、性差別的な社会構造のせいである、と。その波のなかで、産後の母が悲しいのもまた、母として未熟だからでも不適合だからでもなく、母を孤立させ母にすべてを背負わせる社会の問題である、と再定義されたのである。
しかし一九八〇年代、フェミニズムはバックラッシュにさらされ、社会進出を果たした女性たち(「スーパーマム」)が保守的家族主義のもと批判されることになる。仕事も家庭もと追い立てられる女性のメンタルヘルスが問題化するが、しかし、それは女性たち自身のためではなく、家族のため社会のために対処すべき問題として再構築される。その後の一九九〇年代は第三波フェミニズムの時代とも言われるが、一方では人種やエスニシティ、セクシュアリティ、階層、宗教、言語といった女性のなかの多様性に注意が向けられ、他方ではポップカルチャーとの接続において若い世代による新たな表現も生まれた。産後うつをめぐる運動においても亀裂が生じるとともに、それまで声をあげられなかった・あげても無視されてきた女性たちが自ら立ち上がる動きがみられるようになる。
メディア史との関連も無視できない。一九九〇年代アメリカのトークショーやセレブリティによる産後うつ告白の流行は、社会に広く問題提起する格好の機会となったし、二〇〇〇年代のマミーブログの興隆、二〇一〇年代以降のソーシャルメディア、特にハッシュタグムーブメントの発展もまた、市井の女性たちが自らの声を社会に届ける手段となった。二〇〇〇年代以降の法制史上の展開は、伝統的な草の根の運動とこれら新しいかたちのアクションの連続上の、ひとつの到達点だと言えるだろう。
《つづきは本篇をお読みください》
[解題 書き手]
北村 文(きたむら・あや)
津田塾大学学芸学部准教授。専門は、社会学、ジェンダー研究、日本研究。批判的言説分析とエスノグラフィーの方法論から、母たちの日々の実践や経験、感情を主題とするマザリング研究をおこなっている。著書に『日本女性はどこにいるのか——イメージとアイデンティティの政治』(勁草書房)、共編書に『現代日本のマザリング』(新曜社、近刊)など。
小さな赤ちゃんが目の前にいて、その世話をしなければいけないのに、身体が重くて頭がぼうっとして、何をどうすればいいのか、涙がとまらず、悪い考えばかりが浮かんでくる——その経験は当事者にとって、「ブルー」どころか漆黒の闇である。本書 Blue : A History of Postpartum Depression in America by Rachel Louise Moran (The University of Chicago Press, 2024)は、現在は「産後うつ」と呼ばれているこの状態が、戦後アメリカの異なる時代状況においてどう名づけられ、どう処置されてきたのか、あるいは無視され軽視されてきたのかをたどる。それまで見えなくされていた事象が可視化され言語化されるとき、それは誰によって、誰の言語でなされるのか。そこで力を有するのは誰か、奪われているのは誰か。
医療、運動、政治、メディア、法——交差する歴史
したがって、本書が示すのは「産後うつ」そのものの歴史ではない。もちろん、ひとつの軸として医療史的事実はふんだんに盛りこまれている。第二次世界大戦後のアメリカでは、ようやく「マタニティ・ブルーズ」(baby blues)が医療者たちから認識されるようになったが、それは女性たちを未熟だ不適合だと責める権威的なまなざしでしかなかった。その後、一九七〇年代から一九八〇年代にかけては精神医学における診断と治療の体系化・標準化のなかで、アメリカ精神医学会『精神疾患の診断・統計マニュアル』(DSM)のなかにこの症状を正式な臨床概念として確立しようとする動きが進んだ。一九九〇年代以降は科学的な原因究明に加え、新しい抗うつ薬や心理療法が開発され、人生のよく似た時期によく似た症状を抱える女性たちのために医療が進化してきた、とまとめることもできるだろう。しかしその進化の歴史は、一直線には進まない。本書を貫くより重要な軸は、産後うつを経験した女性たちによる権利獲得運動の軌跡である。言い換えれば、「産後うつ」は、医療の言語だけでなく女性たち自身の声とアクションによってもかたちを与えられてきた。本書がたどるのは、そのふたつの軸がからまりあう、言説的構築の歴史である。
一九六〇―七〇年代、暗闇のなかからどうにか抜け出した女性たちが、自宅の固定電話で連絡をとりあって誰かの家に集まり、それぞれの産後の経験や感情を共有し話しあう、コンシャスネス・レイジング(CR)の活動を始めた。キッチンテーブルでフライヤーやニューズレターを書き、封筒に入れて切手を貼って郵送し、そうして始まった草の根の活動は地域に広まり、やがて州を、そしてアメリカ全土を覆うネットワークへと発展する。産後うつ支援団体(Depression After Delivery 一九八五年設立)や国際産後支援協会(Postpartum Support International 一九八七年設立)などの組織は、当事者によるピアサポートを基盤に、情報提供や相談支援、専門家との連携を進め、産後うつを社会的に可視化していった——
まさに、「わたしたちの身体・わたしたち自身 Our Bodies, Ourselves」(一九七一年にボストンの女性団体が出版した書籍タイトル)を取り戻す闘いである。
一九八〇年代には、前述の『精神疾患の診断・統計マニュアル』の分類改訂において女性運動家と医療専門家との共闘が進み、女性たちは自らの個人的な経験こそが臨床データとして正当であり重要であると主張した。また一九八〇年代後半から一九九〇年代にかけては、産後サポートに特化したセラピストという専門職が生まれる。もともと心理学的背景を持ち、自らも出産後につらい時期を過ごした女性たちが職業としてこの分野に参入していったのである。さらに一九九〇年代以降になると、女性運動の内部に存在していた差異と格差が顕在化する。アフリカン・アメリカンやヒスパニックの女性たち、さらにはLGBTQ+の経験が周縁化されてきたことへの批判が高まり、運動はより包摂的な方向へと再編されていく。
この背後には、戦後アメリカの社会政治的背景というもうひとつの軸がある。産後うつをめぐる社会運動は、ジェンダー、フェミニズム、家族、そして母をめぐる社会的・政治的言説につねにさらされ、時に翻弄されてきた。一九七〇年代は、第二波フェミニズムの社会的潮流のなかで女性たちが「個人的なことは政治的なこと」というスローガンやCRといった手段を手にし、伝統的な性役割を瓦解させるべく立ち上がった時期だ——女たちが苦しいのは女たちのせいではなく、性差別的な社会構造のせいである、と。その波のなかで、産後の母が悲しいのもまた、母として未熟だからでも不適合だからでもなく、母を孤立させ母にすべてを背負わせる社会の問題である、と再定義されたのである。
しかし一九八〇年代、フェミニズムはバックラッシュにさらされ、社会進出を果たした女性たち(「スーパーマム」)が保守的家族主義のもと批判されることになる。仕事も家庭もと追い立てられる女性のメンタルヘルスが問題化するが、しかし、それは女性たち自身のためではなく、家族のため社会のために対処すべき問題として再構築される。その後の一九九〇年代は第三波フェミニズムの時代とも言われるが、一方では人種やエスニシティ、セクシュアリティ、階層、宗教、言語といった女性のなかの多様性に注意が向けられ、他方ではポップカルチャーとの接続において若い世代による新たな表現も生まれた。産後うつをめぐる運動においても亀裂が生じるとともに、それまで声をあげられなかった・あげても無視されてきた女性たちが自ら立ち上がる動きがみられるようになる。
メディア史との関連も無視できない。一九九〇年代アメリカのトークショーやセレブリティによる産後うつ告白の流行は、社会に広く問題提起する格好の機会となったし、二〇〇〇年代のマミーブログの興隆、二〇一〇年代以降のソーシャルメディア、特にハッシュタグムーブメントの発展もまた、市井の女性たちが自らの声を社会に届ける手段となった。二〇〇〇年代以降の法制史上の展開は、伝統的な草の根の運動とこれら新しいかたちのアクションの連続上の、ひとつの到達点だと言えるだろう。
《つづきは本篇をお読みください》
[解題 書き手]
北村 文(きたむら・あや)
津田塾大学学芸学部准教授。専門は、社会学、ジェンダー研究、日本研究。批判的言説分析とエスノグラフィーの方法論から、母たちの日々の実践や経験、感情を主題とするマザリング研究をおこなっている。著書に『日本女性はどこにいるのか——イメージとアイデンティティの政治』(勁草書房)、共編書に『現代日本のマザリング』(新曜社、近刊)など。
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